例え話ですが、最近、新成人になったあなた。街中を歩いていると事務所のスカウトから声をかけられました。
どうやらあなたには特別な才能があるようで、今すぐウチと契約してほしいとビルに案内されました。
その時、あなたはどうしますか?契約しますか?
あらすじ
主人公のかねた一郎に山猫からおかしな葉書が来ました。
興味を持った一郎は山の中へ出かけ、山猫に会いに行きます。
山猫にはどうやら悩み事があり、どんぐりたちの裁判を何とかしてほしいと頼みます。
一郎は機転の効いた言葉を山猫に教えたところ、どんぐりの裁判を解決することができました。その後は裁判のお礼を山猫からもらい、一郎は家に帰りました。
全文はこちら↓
仏教説話
どんぐり裁判の内容が全てです。
どんぐり達が争っています。形がとがっているとか丸い方がいいとか(外見の違い)、大きい方がいいとか(身長や体型)、押しっこの強い方(喧嘩などの力)がいいだとか。
実に非生産的な争いです。
童話集ちらし広告のコメント(恐らく賢治によるもの)ではこう紹介されています。
山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、子供が山の風の中へ出かけて行く話。
必ず比較をされなければならない今の学童たちの内奥からの反響です。
つまり、この裁判は学校での生徒達を風刺した作品です。
説話の内容についてはこちらの記事で詳しく書かれていますが、
ざっくり言いますと
自分は他より優れているから偉いとかやめようよ。
謙虚な気持ちでお互い思いやりの心を持とうよ。それが大切なことでしょ。という教えです。
典型的な仏教説話ですね。しかし、それは表の顔です。
章立て表
裏読みしようにも、章立て表を作らなきゃ話になりません。
典型的な対称構造です。
極端に簡略化すると、このような構成になります。異界に行って戻ってくる話です。
対句を拾っていきます。
例えば、水色の部分では、
山猫が一郎を呼ぶために、部下が手紙を渡す。
⇔山猫が一郎にお礼を渡すために、部下がどんぐりを渡す。
青い部分では、
一郎が山猫のたばこの誘いを断る⇔一郎が山猫の“出頭すべし”という提案を断る。
と対になっています。
では、行きと帰りである緑の部分を比較するとどうでしょう。
おかしな点が浮上します。帰りの部分では白い大きなキノコで出来た馬車とねずみ色の馬が出てきます。
これは前半に出てきた白いキノコとリス(漢字で栗鼠)に対応しています。
残りの栗の木と笛吹きの滝は何に対応しているのでしょうか。
結論をいうと、栗の木はどんぐり、笛吹きの滝は黄金色の草地です。
前半の登場人物が形を変えて後半に出ていることがわかります。
このことは、作者からヒントが与えられています。
どんぐり裁判でどんぐりたちが何度も同じ内容を言ったり、山猫の部下が何度もムチでたたく場面です。このことから、この物語は同じものが形を変えて出現するということを暗に示しています。要するに山猫の部下です。
山猫とどのくらいグルかは証拠不足なので分かりませんが、行きのメンツは異界サイドの者です。少なくとも、山猫の不利になるようなことは言いません。
登場人物
どんぐりと山猫のタイトルの通り、対になっています。
共通点は、服と自分が偉いという考えです。
一方で、主人公と対になっているのは、山猫の部下の馬車別当です(以下部下とします)。
主人公はかねた一郎といいます。この子は学生です。
かねたは金田と兼田の2つの意味をかねているのでしょう。
機転もきき、仏教の教えも覚えていることから、地頭は悪くないのでしょう。
一方で部下は、頭がよろしくありません。大学校の5年生と言われて喜んでしまうぐらいです。
当時、大学校(今でいうとこの旧帝大)の5年はありません。研究生(今でいう大学院生)や留年生のことをそう呼ぶのかもしれませんが、公的な呼び方ではありません。
一郎を除くどんぐり、山猫、部下の3名は偉いということにこだわりがあります。
続いて山猫たちについて。
猫は賢治作品では悪役が多いです。毛皮が嫌っていた実家の質屋を連想させるからだそうです。作中の描写からは分かりづらいですが、山猫は悪役です。
山猫は一郎をこっちサイドに引き込むため、様々な策を仕掛けました。
1つ目はたらい回し戦法です。「この案件はウチじゃない」とたらい回しにして疲れさせるやり方です。役所などがよくやりますね。思い出すとイライラします。
行きの部分で栗の木たちは一郎に聞かれてもよく分からないことを言って混乱させます。ちなみに従ったら道に迷って即ゲームオーバーです。幸い、一郎は自分の道をまっすぐ進みました。しかし、顔を真っ赤にして汗をぽたぽた流しています。坂が急だったのもありますが、ここまでの疲れも効いたのでしょう。
2つ目はアップダウン戦法です。
最初はきつく言って落として、次に喜ばせて上げて、次に又きつく言って落とす、このように繰り返して段々戦意を削いでいく方法です。
ブラック企業などがよく使う方法ですね。
山猫の部下は山羊のような足、足が不自由の描写から悪魔です。
手紙の問答で、悲しそうな顔をしたり喜んだりと、態度や表情を変えて一郎を動揺させます。
部下が感情豊かな一方で、山猫は冷静で丁寧な口調で喋ります。
これは、自分の格を下げずに、大きく見せるためです。
裁判の様子を一旦見せて、裁判のアドバイスを一郎に要求し、一郎を褒美で誘惑します。
中々手の込んだ方法です。ここまでやると、普通は誘惑に乗ってしまいます。
ですが、一郎は“出頭すべし”をおかしいと指摘して、山猫の誘惑を断りました。
その結果、異界とのつながりを失い、山猫たちと会えなくなりました。
大戦景気
この話は1921年に完成しました。
執筆当時、大戦景気で成金が大量に出ました。しかし、その後の戦後恐慌で多くの人が打撃を受けました。何だか1980年代のバブルと似たものを感じます。
あいつよりお金を稼ぎたいとか、優れているだとか。そんなものはどんぐりの背比べだ。どれもこれも一個人としてはそんな大きな差はない。それがどんぐりであり、部下であり、山猫であると。そんな金に目がくらんでしまった人々を批判しています。
なぜそんなことになったのか、作者的にはそれは自分を正しく見ていなかったからだと考えています。内省不足というやつです。宗教的なアプローチですね。
大体そういう“うまい話”を持ち掛ける奴らは何らかの理由があります。
黄金色に輝くどんぐりですが、所詮ただのどんぐりです。金は幻です。
鮭の頭を取られなくてホッとしたのも山猫自身、金銭が本質的に重要なものではないことを知っていたからでしょう。金を食べてもお腹は膨らみませんから。
ですから、どんぐりのように他人と比較することにこだわらず、一郎のように謙虚に物事を正しくみれば、山猫の甘い話や誘惑に引っかからなくなるということが本作の主張です。
以上で本作の解説は終わりますが、イーハトーブ童話“注文の多い料理店”について。
イーハトーブ童話“注文の多い料理店”
この童話集は9作品が収録されたものです。
収録作品にはどんぐりと山猫、注文の多い料理店、月夜のでんしんばしらなどがあります。
当初、全部で12巻出す予定だったそうです。
各9作品×12巻=108で煩悩の数になることや、
どんぐりと山猫は大戦景気批判、注文の多い料理店は紙幣批判、月夜のでんしんばしらは軍部批判を取り上げていたことから、最初は社会問題を童話で表現する目的があったのではないかと推測できます。
賢治が宗教だけでなく経済にも興味を持っていたことは間違いないと思います。
追記
最後に詳細な章立て表を載せます。