1931年 グスコーブドリの伝記 送稿
宮沢賢治の生前に発表された数少ない作品です。
ブドリの自己犠牲や作中の科学知識に目が行きがちですが、それだけではありません。
裏の内容も含んだ重層的な話です。
あらすじ
グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーヴの森に住む木こりの息子です。
冷害による飢饉(ききん)が原因で両親を失い、妹のネリを人さらいに連れ去られてしまいました。
てぐす工場に労働者として拾われますが、火山が噴火した影響で工場が閉鎖してしまいます。
その後、赤ひげというおじさんの元で農業に携わったのち、クーボー大博士に会いに行きます。クーボー大博士の紹介で、ブドリはペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師になります。
そこで、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した肥料、潮流発電所を実現させます。
仕事のトラブルに巻き込まれた際、病院でネリと無事再会することができました。
ネリは無事で、現在は牧場に嫁いでいました。
赤ひげと再会したり、ネリに子供が産まれ、全ては順調に進んでいました。
ところが、ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われます。
カルボナード火山を人工的に爆発させて飢饉を回避する方法をブドリは提案します。
しかし、クーボー博士の見積もりでは、その実行には、最後の一人だけ噴火から逃げることができません。
犠牲を覚悟したブドリは、クーボー博士やペンネン老技師を説得し、最後の一人として火山に残りました。
ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われました。
全文はこちらです。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html
表層の解説
ブドリの出世物語です。
作者の科学知識や経験が投入されており、半ば自伝的な内容になっています。
科学と宗教をパラレルで表現しており、「知識」と「労働への思い」が結びついているところが面白いところです。
労働と願い事の関連を見ると、労働が自己目的化しています。
作者の主張を言えば「勉強と労働による自己奉仕が世界の平和につながる」です。
そんなの当たり前でしょ。ただの説教でしょ。
ここまでなら普通の説話なのですが、名作には重層的な構造を持っています。
グスコーブドリの伝記も例外ではありません。
章立て表
対称構造の後にエピローグ付け加えた構造です。
対称構造は円環構造とも言えますので、解脱しているといって良いです。
つまり、物語の構造が一つの運命から抜け出す構造になっています。
それだけではありません。ブドリの仕事に着目すると反復構造になっています。
ブドリが段々と仕事に対して貢献できるようになっています。
サイクルが連続しているのを見ると、魔の山(錬金術の山)のワルプルギス・ループのようですね。
ただ、魔の山では、キリスト教教義に配慮した折衷案として採用していますが、
この作品では「ループ時間が本質である。だがより良いループがあるのではないか。」
という主張のために、直線と円環の時間を取り入れているように思われます。
こっちの考えの方がより発展的ですね。
対称構造と反復構造を有してるのは仏教とキリスト教の時間観をドッキングさせるためでしょうが、二つの構造を同時に有した作品は多くありません。
同志たちが読み解いている作品だと、夏目漱石の道草ぐらいしかありません。
恐るべき賢治の構成能力です。
イエスキリスト物語
恐らく、作者が一番描きたかった部分です。
グスコーブドリの伝記は、旧約聖書の舞台に新約聖書のストーリーが乗っかってる構造になってます。(旧約聖書については、下記記事のキリスト教参照)
原罪を冷害や干ばつといった自然災害として置き換えています。
冷害などの自然災害が頻繁に起きるのは、イーハトーヴの人間が罪深き存在であるため、神から罰を受けるからです。
1章の森を旧約聖書の楽園追放に、餅を知恵の実に置き換えて表現しています。
知恵の実を二人が食べてしまったから蛇である人さらいに攫われて、森から追放されてしまったのです。
イエスの奇跡をオリザの収穫、クーボーの授業での受け答え、火山での働きに置き換えています。
そして、ブドリの自己犠牲は言わずもがな、イエスの自己犠牲です。
ブドリが人類の罪を背負って自己犠牲したから、世界、いやイーハトーヴに平和が訪れたのです。これはイエスの自己犠牲を仏教の解脱とドッキングさせたものでもあります。
だから、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かい食べ物と、明るい薪で楽しく暮らすことができたのです。
これは、エデンの園のように、未来のイーハトーヴでは幸せに暮らせることを示しています。
今までのキリスト教義では、
1.人類は罪深い存在である。
2.イエスが人類の罪を背負って自己犠牲した。
3.だから、イエスを信じるものは救われる。
という理屈ですが、
賢治は「皆がブドリのように自己奉仕すれば、未来の子供たちの幸せにつながるんだよ。」とイエスの物語や教えを吸収、発展させています。
それに、ブドリはエスペラント語でbudho(ブドホ)をもじった名前です。
ブドホは日本語で仏や仏陀の意味です。
ブドリは自己犠牲をして人々を救い、イエスは自己犠牲により、人々の罪を償います。
つまり、グスコーブドリの伝記は、日本のイエスキリスト物語です。
まとめ
作者の主張をまとめると、「勉強と労働による自己奉仕が世界の平和につながる」「ループ時間が本質である。だがより良いループがある。」「皆がブドリのように自己奉仕すれば、未来の子供たちの幸せにつながる。」の三つです。
ここでタイトルに戻ります。
伝記とは個人の生涯を書いたもので、偉人とかに書かれます。
アメリカでフィッツジェラルドがギャッツビーという人物を創作したように、
賢治は日本のイエスキリストとして、グスコーブドリを創作しました。だから伝記なのです。
特にイエスの話を日本人向けに置き換えて表現したから、この作品は名作なのでしょう。
賢治は勤勉で自己奉仕の精神を持つ人が次の時代にたくさん出てくる事を期待して、
生前にこの作品を発表したのだと思います。
現実はそう上手くいきませんでしたが、その影響は良くも悪くも今の時代まで続いています。
後継作品
後継作品は数多くあると思いますが、代表的な作品はまどマギでしょう。
勤労による自己目的化、自己犠牲によって輪廻から解脱する点がそっくりです。
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もう一つはゲームになりますが、ゼルダの伝説 ムジュラの仮面です。
同じループを繰り返しますが、だんだん抜け出そうともがき、最終的に新しい未来を掴み取るところがそっくりです。
ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 3D (nintendo.co.jp)
参考資料
ブドリの名前の由来はこの方の記事から参考にしました。
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