動物との対話を通じて、未熟な青年が立派な人間として成長するお話として知られています。
間違いではありませんが、深く読むと別の顔がありました。
賢治入門としては「銀河鉄道の夜」より、「注文の多い料理店」やこの作品を勧めます。
余談ですが、読み解き入門としてはおすすめしません。難解でした。
あらすじ
ゴーシュは町の活動写真館(映画館)の楽団「金星音楽団」でセロ(チェロ)を弾いています。
楽団では町の音楽会で演奏予定の『第六交響曲』の練習を続けていましたが、
とても下手なので、いつも楽長に厳しく叱られています。
家に帰ると、ゴーシュのもとに様々な動物が毎晩訪れては、ゴーシュに演奏を依頼します。
動物たちの交流を経た後、本番では「第六交響曲」の演奏に成功します。
司会者が楽長にアンコールをお願いすると、楽長はゴーシュを指名します。
ゴーシュは馬鹿にされたと思って立腹しますが、「印度の虎狩り」という曲を演奏しました。
その演奏は楽長をはじめ、他の楽団員から賞賛を受けました。
その夜、ゴーシュは空を眺めてカッコウに謝罪しました。
本文は下のリンクからどうぞ。
アニメも素晴らしい出来です。
はじめに
セロ(チェロ)はオーケストラで主に低音部を担当する楽器です。
低音部の説明はこちらをどうぞ。ベースとウワモノの部分です。
バンドサウンドではベースが担当します。この曲のイントロがベースの音です。
ちなみにベースがボロボロだと曲全体がガタガタになります。
本家の動画も載せます。ベースの音は0:23から。
ベースの音が聴きづらい人はこちらをどうぞ。
メロディーや伴奏を担当する楽器、ギターやヴァイオリンがやらかしたら一人ミスるだけで済みますが、低音部のミスは他のパートを巻き込んでしまうので、楽長が怒るのも無理はないです。
ゴーシュのパートは、あんまり目立たないけどめちゃくちゃ重要と思ってください。
ゴーシュ(Gauche)という言葉は、フランス語で、左、左側という意味です。転じて、不器用な、ゆがんだという意味もあります。
左利きは昔みっともないという理由で、右利きに矯正された時代もありました。
つまり、セロ弾きのゴーシュは下手なチェロ弾きという意味です。
読解のポイントは4つです。
1.複合三部形式
2.キャラクター戦略
3.鳥=聖霊=言葉=音楽
4.登場楽曲の把握
1.複合三部形式
この作品の構造は複合三部形式です。音楽の形式になっています。
青の部分が反復構造で、赤の部分が対称構造です。
なぜ反復構造と対称構造を融合しているのか疑問でしたが、音楽の形式が物語の構造になっていると納得です。
よくよく考えれば、音楽がテーマの作品ですから、物語の構造が音楽の形式になっているのは当然ですね。
こういった音楽の形式をした物語は他にも存在します。
場面ごとに区切った方が分かりやすいので、青の部分を3つに分けましたが、提示される物語の主題は2つです。
「第六交響曲の完成」と「ゴーシュの成長」です。
最初にゴーシュの紹介をした後、練習する場面に移ります。
このパートでは、ゴーシュの問題点を浮き彫りにしています。
問題点は、音が遅れた(リズムが悪い)、糸が悪い(音程が悪い)、表情・感情がない(グルーヴがない)の3つです。
要するにリズム・音程・グルーヴの3つが問題です。どれも、楽器の演奏には欠かせません。
グルーヴとは、ざっくりいうとノリのことです。ロックぽい、ジャズっぽいと感じるやつです。
この作品では表情や感情として描写しています。
ゴーシュはこれらが欠けているので、Bのパートでこれらを克服していきます。
2.キャラクター戦略
Bのパートでは、ゴーシュの成長の過程が描かれています。
猫から表情(グルーヴ)を、カッコウから音程を、狸からリズムを、ねずみから楽器本来のポテンシャルを取り戻します。
動物たちはセロであり、ゴーシュの音楽なのです。
これだけではありません。
猫は半分だけ熟したトマトを持ってきます。ゴーシュは演奏の技術が半分未熟です。
半分と言った訳は、音を鳴らすことはできますが、人前で弾けるレベルではないからです。
カッコウはゴーシュに音楽を教わりにきます。ゴーシュはかっこうに音楽を教わっているような感覚になります。
狸はセロの異変に気づき、ゴーシュに指摘します。ゴーシュも自分の演奏技術だけでなくセロにも問題があると感じています。
野ねずみの母親は自分の境遇に泣きます。ゴーシュも自分の演奏技術の不甲斐なさに泣きます。
つまり、ゴーシュが出会う動物達はゴーシュ自身です。自分の心との対話です。
さらに、音楽の内面と外面も描いています。
ゴーシュの心がどんどんセロに近づくと同時に、ゴーシュの音楽はどんどん外へ出ていきます。
高畑バージョン見た感想ですが、
— fufufufujitani (@Fujitani1) 2020年3月5日
猫:外に出たがるが戸を閉めて阻止しておく。
かっこう:鳴き声とのコラボ。外に出ようとする。ゴーシュも協力する。
たぬき:チェロを叩いてコラボ
ねずみ:チェロの中に入る
だんたんチェロに、言い換えれば音楽に近づいてきて、最後に音楽の中に入り込む、
— fufufufujitani (@Fujitani1) 2020年3月5日
という流れのように思えました。
それがすなわちゴーシュの内面が音楽に入り込む過程であると。
動物はゴーシュの心であると。
だから最後に観客はゴーシュの音楽に入り込めたんだと。
3.鳥=聖霊=言葉=音楽
もう一つの工夫として三位一体教義を作品内に組み込んでいます。
三位一体教義の解説はこちらのリンクからどうぞ。
本作では、カトリックの「大中小」を採用しています。
三位一体に当てはめるとこうなります。
狸は父の命令で来ます。セロの異変を指摘したのも狸です。
母ねずみは子供の病気を治してもらうためにゴーシュの所へ来ます。
ゴーシュは子供ねずみのためにパンを分け与えます。
ゴーシュへの頼みは神様に救いを乞う姿に似ていますし、パンを与えるゴーシュはイエス様に似ていますね。
聖霊は予言や言葉のことです。鳥で表現されます。鳥=言葉=音楽です。
猫の前で披露したインドの虎狩りの演奏は、舞台でも披露します。つまり予言の的中です。
カッコウがゴーシュに言います。「どんなに意気地ないやつでも、のどから血が出るまでは叫ぶんですよ」
ゴーシュはバカにされて舞台に出ても、感情を込めてどんどん弾きます。
ゴーシュの成長だけでなく、ゴーシュの心が音楽と一体化する物語です。
4.登場楽曲の把握
賢治は熱心なレコード収集家でして、今でいう洋楽オタクでした。
楽曲の元ネタ研究は進んでいまして、以下のブログを参考にしました。感謝申し上げます。
登場する音楽は
①金星音楽団が演奏する「第六交響曲」
②猫「トロメライ」
③ゴーシュの弾く「印度の虎狩り」
④カッコウ
⑤狸の子「愉快な馬車屋」
⑥野ねずみ「なんとかラプソディー」
の6曲です。
①金星音楽団が演奏する「第六交響曲」
ロシアのチャイコフスキー説もありますが、ベートヴェンの田園だと思います。5つの楽章から成立しているからです。作中に出てくる音楽も第六交響曲を除けば全部で5つです。
ドイツの曲です。
②猫「トロメライ」
シューマン作曲で、ドイツの曲です。
③印度の虎狩り
インドで虎狩りしていたのはイギリス人です。
元ネタになった曲は、レスリー・サロニーのHunting Tigers out in "Indiah"ではないかと言われています。1930年なので執筆にはギリギリ間に合います。ちなみにイギリスの曲です。
④カッコウ
音楽ではないので、こちらの動画をどうぞ。
曲というよりリズムトレーニングですね。
ちなみに、ドレミファソラシドはイタリアの読み方です。
ドレミの由来になった曲が存在します。
⑤狸の子「愉快な馬車屋」
アメリカのジャズです。
⑥野ねずみ「なんとかラプソディー」
ボッパー作曲のハンガリーラプソディです。言うまでもなくハンガリーの曲です。
表にまとめるとこうなります。
ゴーシュは動物達との対話だけでなく、西洋音楽とも対話していたのですね。
先程挙げたブログでは、インドの虎狩りが第六交響曲の練習曲ではないかと指摘しています。
私はインドの虎狩りだけでなく他の曲も練習曲だと思います。
第六交響曲は作中に登場する楽曲を暗に示していたのですね。
カッコウへの謝罪
実はゴーシュはカッコウに対しては怒鳴っていません。
足をドンとする場面は4回出現します。本文引用します。
楽長:いきなり楽長が足をどんと踏んでどなり出しました。
猫:「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」ゴーシュはすっかりまっ赤になって、昼間、楽長のしたように足ぶみしてどなりましたが、急に気を変えて言いました。
カッコウ:「黙れっ。いい気になって。このばか鳥め。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」ゴーシュはどんと床をふみました。
狸:どんと足を踏んで、「こら、たぬき、おまえはたぬきじるということを知っているかっ。」と怒鳴りました。
こう並べて見ると、ゴーシュはカッコウに怒っていません。
表にして分析すると、カッコウには帰って欲しかったから、ドンと足踏みしました。睡眠が取れなくなるからです。
ゴーシュからしたら、ただでさえ疲れているのに夜明けまで鳥の真似事をしろとか、たまったもんじゃありません。
つまり、自分の気持ちを分かって欲しかった。だから思わず足をドンと踏んだのだと。
相手を侮辱するためではなく、自分の気持ちを理解してもらうためにやったのだと。
ゴーシュは、演奏は下手ですが、一生懸命にその身一つで音楽に向き合っています。
動物が来るまで毎回、夜中過ぎまでセロを弾いていますから。
楽長の言う通り、普通の人には無理です。体内リズム崩れます。
この部分は「なめとこ山の熊」や「老人と海」と似ていますね。
西洋音楽の吸収
カッコウが理解してほしかった、ゴーシュが本当に理解したかったものは何でしょうか。
それは西洋音楽です。
ゴーシュ以外で必死に西洋音楽の吸収を行ったのは、日本です。
明治以降、日本は西洋文明の吸収と消化に努めました。
しかし、音楽だけは違いすぎました。
三島がニーベルングの指環を吸収して新しい物語を描いたように、
賢治は西洋音楽の形式や内容を吸収して、新しい童話にしました。
カッコウは窓を突き破り、外国に行きます。
ゴーシュは外国の音楽を吸収しようとしました。
その結果、他の動物達に届き、最終的に舞台で観客や楽団員の心を掴みました。
猫との演奏は、舞台での成功を予感するものでした。
カッコウとの演奏は、ゴーシュの音楽が外国に届くことを予感させてくれますね。
賢治は新たな音楽の中心としてゴーシュを描いたのでしょう。
西洋音楽に圧倒された日本人が、今度は外国に影響を与えることを期待して。
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