この物語は動物との対話を通じて、未熟な青年が立派な人間として成長するお話です。
それでも間違いではありませんが、深く読むと、人々の助け合いを描いているのです。
賢治入門としては、「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」より、こちらを勧めたいです。
あらすじ
本文は下のリンクからどうぞ。短編ですし、賢治作品の中では読みやすい部類に入ります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/470_15407.html
全体構成
A |
練習 |
1 |
第六交響曲の練習 |
問題点・自信の喪失 |
2 |
ゴーシュの1人練習 |
孤独な演奏 |
||
3 |
ゴーシュの帰宅 |
一人でガムシャラな練習 |
||
B |
動物たちのセッション |
1 |
猫とのセッション |
表情(グルーブ)の克服 |
2 |
かっこうとのセッション |
音程の克服 |
||
3 |
たぬきとのセッション |
リズムの克服 |
||
4 |
野ネズミとのセッション |
自信をつける |
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C |
本番 |
1 |
第六交響曲の演奏 |
問題点の克服 |
2 |
ゴーシュのソロ |
大勢の前で演奏 |
||
3 |
ゴーシュの帰宅 |
自信の回復・カッコウへの謝罪 |
全体構成はきれいな三幕構成です。
AとCが対になっていて、Bは内部で対をつくっている構造となっています。
タイトルについて
セロ(チェロ)は、ざっくりいうと、少しでかいバイオリンで、低い音を出す楽器です。
オーケストラなどにおいて、低音部を担当します。
現代の一般的なJ-POPでは、低音部を主にエレキベースが担当することが多いですね。
低音部がどういう役割なのかを説明すると長くなるので、ここでは割愛しますが、
今のところは、“一般の人にはあまり目立たないけど、めちゃめちゃ重要”ぐらいの認識で
大丈夫です。
ゴーシュという言葉は、フランス語で、左、左側という意味です。
左利きは、昔みっともないという理由で右利きに矯正した時代もあったそうです。
以上のことから、セロ弾きのゴーシュは下手、上手くないという意味であると言えます。
この物語が成長物語であることを暗に示しているタイトルですね。
Aパート
このパートでは、ゴーシュの問題点を浮き彫りにしてます。
問題点は、音が遅れた(リズムが悪い)、糸が悪い(音程が悪い)、表情・感情がない(グルーヴがない)の3つです。
要するにリズム・音程・グルーヴの3つが問題です。どれも、楽器の演奏には欠かせません。
グルーヴとは、ざっくりいうとノリのことで、ロックぽい、ジャズっぽいというのを何となく感じると思いますが、その〇〇っぽいというのをグルーブと言います。この作品で、作者は、グルーヴのことを表情や感情として解釈しています。
少し、横道がそれましたが、ゴーシュはこれらが欠けているので、皆の前で楽長に叱られます。ひどい仕打ちです。
まあ、低音部がミスると、全体がコケるので、楽長が怒るのも無理はないですが。
その後、ゴーシュは独りで練習をし、家に帰ってからも練習しますが状況は変わりません。
原因を解決するような努力をせず、ただガムシャラにやっているだけですから。
Bパート
このパートでは、成長の過程が描かれています。問題を認識し、克服します。
ネコ(B-1) |
ネズミ(B-4) |
自分勝手 |
子のため |
トマトを持ってくる |
パンをあげる |
堪えきれない |
堪えきれない |
ドアにガンガンぶつかる |
外へ出てく |
感謝を述べない |
感謝を述べる |
カッコウ(B-2) |
タヌキ(B-3) |
自分のため |
父のため |
外へ逃げる |
中に入る |
夜開ける前 |
夜が明ける |
窓ガンガンぶつかる |
外へ出てく |
感謝を述べない |
感謝を述べる |
B-1↔︎B-4、B-2↔︎B-3と対応しています。
簡単な表ですが、対応していることがわかれば、十分だと思います。
もう一つ重要なのは、この作品に三位一体教義を組み込んでいることです。
三位一体教義の解説は下のリンクからどうぞ。
銀河鉄道の夜【宮沢賢治】あらすじ解説 - NAVER まとめ
|
動物 |
行動 |
父 |
タヌキ |
父の病気を治す |
子 |
ネズミ |
子の病気を治す |
予言を告げる |
||
愚者? |
ネコ |
ムカムカさせる |
表は以上のように対応しています。
猫の部分は不明ですが、少なくとも、タヌキ、ネズミ、カッコウが三位一体教義に対応しているのは明白です。
B-1 猫とのセッション
猫は、ニヤついてゴーシュのところにやってきます。
悪気はないと思いますが、相手に対して共感するのではなく、見下すような態度で接しています。媚びへつらうように、相手の気持ちなど考えてません。浅い同情心です。
そのため、うさ晴らしも兼ねてゴーシュは、インドの虎刈りという耳に悪い音楽を弾きます。
意図しない形ではありますが、ここでゴーシュは表情や感情を習得します。怒りや気迫といった感情を演奏によって表現することを学んだのです。
B-2 カッコウとのセッション
このパートでは音程を克服します。
カッコウと単純な音のセッションをすることで、ゴーシュは正しい音程を習得します。
賢治はこのカッコウを聖霊と解釈しています。聖霊というのは予言をする存在ですから、
実際に作品内で「どんな意気地ないやつでも、のどからちがでるまで叫ぶ」と言い、
C-2で実際その通りになります。
神様の予言を聞き、その恩恵を受けたのです。
B-3 タヌキとのセッション
このパートでは、リズムを克服します。
タヌキとのセッションで、自分の楽器の問題点である音の遅れ、リズムの問題を認識します。
以前だったら、動物に対してひどい仕打ちしかしなかったゴーシュが、父を思いやるタヌキの指摘を素直に受け入れ、一緒に問題に向き合います。
問題と向き合い、考えることを学んだのです。
B-4 ネズミとのセッション
このパートでは、自信を手に入れます。
見上げるように親ネズミが子ネズミの病気を治すようにお願いします。
演奏でネズミの病気を治し、元気な姿を見ることで、ゴーシュの中で自信が生まれます。
その後、他者を思いやる慈悲の心を持つようになり、パンをネズミにあげます。
人間として一歩成長したのです。
段階的ではありますが、ゴーシュは一歩一歩着実に成長しています。この成長の過程を丁寧に描写しているところが賢治の凄いところであり、この作品を名作たらしめている理由の一つでしょう。
Cパート
演奏が成功して、楽長がうれしそうだったという描写から、ゴーシュは以前よりも上手くなったことが分かります。
そして、ゴーシュは周りのゴーシュのソロでは今までの練習の成果が全て発揮されます。
猫から学んだグルーヴ・カッコウから学んだリズム・狸から学んだ音程・ネズミから得た自信、それらが組み合わさって発揮された演奏は聴衆の心を惹きつけ、絶賛されます。
以前の自分とはまるで別人のようです。
そして最後に、同情するだけの猫ではなく、聖霊であるカッコウに向かって声をかけます。
「ああ、カッコウ。あのときはすまなかったな。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」
ゴーシュは、自分の非を認められる立派な人間として成長できたのです。
では、ゴーシュの成長は、ゴーシュだけの力なのでしょうか?
それは違います。様々な動物たちと関わったことで、成長することができたのです。
現代においても、成功者を見ると、一見その人だけの功績のように思われますが、実はそうではありません。表には出てこない多勢の人の支えや助けがあったからこそ成功することができたのです。
我々は、この人間社会において自分だけでは決して生きていくことはできません。家族・友人・恋人など、多くの人の支えや助け合いがあって、存在したり、成長することができるのだと、、
なんだか、ワンピースみたいな話ですね。
賢治作品というのはそれぐらい、現代のコミック・アニメに影響を与えているのです。
まとめ
このお話は、人間の成長を描いた物語。
自分の存在や成長というのは多くの支えによって成り立つのだという主張が存在する。
キリスト教の三位一体教養が物語に組み込まれている。
以上で解説を終わります。
余談
この作品の読み解きは正直言って、かなりスムーズに進みました。
何故なら、先行研究というか、ある程度まで読み解けた解説がいくつも存在したからです。しかし、どれもあと一歩なのに、、と思われる惜しい解説ばかりでした。
それを知った時、fufufufujitani氏が下のリンクで言及した問題についても、深い確信を持ち、とても残念な気持ちにもなりました。
僕より鋭敏な感覚や感性を持ち、読解力のある優秀な人達が、宝の持ち腐れと化している状況に対してもったいないと感じたからです。
先人が身を削って作り出した文学作品に触れ、その真意を平易な言葉で汲みとってあげることが、今後の文学や、創作物の発展において重要なのではないのかなと思います。
関連
賢治作品で最も影響力のある作品の1つです。キリスト教の考察の参考にもしました。
代表作の1つです。こちらもきれいな構成をしています。
出典
セロひきのゴーシュの通販/宮沢 賢治/茂田井 武 - 紙の本:honto本の通販ストア
http://ワンピース名言.com/archives/1065
参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/セロ弾きのゴーシュ#作曲者