今回は、読み解きというより論文の紹介です。
ただ、構成読み解き家として、章立て表も交えてざっくりと解説していきたいと思います。
あらすじ
夜中、線路に入った恭一は電信柱が動く姿を目にします。
動くでんしんばしらを見たり、その長である電気総長と話した後、
元の景色に戻ります。
現実か幻かわからない不思議な体験でした。
全文はこちらから↓
米地 文夫先生の論文です。詳細な解説はこちらからどうぞ↓
章立て表
表向きは不思議な話ですが、裏の顔もあります。
物語の構成は、普通の対称構造です。
ポイントはBの内部の電信柱と電気総長の部分です。
電信柱、特に六本腕の竜騎兵はこんな格好です。記事の初めにも載せた絵です。
この絵は賢治が書いたものです。暗くて不気味です。
電信柱の中に重症の者もいるのに、みんなただ北へ行進しています。やっぱり不気味です。
一方、電気総長は明るいです。英語や科学の知識、自分の電信柱達を主人公の恭一に自慢します。
怪我で重症の電信柱もいるんだから自慢する前に労わりなさいよ。
話を戻しまして、
電信柱と電気総長を対比させて何を表現したかったというと、軍部批判です。
特にシベリア出兵の継続に対する批判です。
シベリア出兵
ロシアで誕生した世界初の社会主義政権「ソビエト政権」の勢力拡大を防ぐため、連合国や日本はシベリアに兵を送りました。
詳しい解説は下記の記事に任せますが、
表向きは、連合国のチェコスロバキア軍の救出に協力するために、日本は兵を派遣します。
しかし、別の目的として、自国の利益のためにシベリアを支配しようと企みます。
恐らくアメリカなど他の国にも見抜かれています。
1920年までに他の国がシベリアから撤退しても、日本軍は多くの兵士をシベリアに送ったままでした。
出兵が終わったのは1922年です(作品の完成時期は1921年9月)。
出兵の大義を失っているのにも関わらず、兵を派遣し続ける軍部。
軍人が次々と意味もなく犠牲になるのですから、国民が不満や不平を持つのは想像に難くありません。
勝手な自分の想像ですが、何も成果が上げられないとメンツが丸潰れになるどころか、軍での立場も危うくなります。
ですから、シベリア出兵をやめられなくなったのだと思います。
傷口が浅いうちにやめておけばいいものを。
何だか今の状況にも通じるような気がします。
話が逸れましたが、このような軍部を批判しようにも、当時は今ほど表現の自由が認められていません。
それにロシア革命以降、政府は革命を恐れていたので、そういった勢力を押さえつけようとしました。
ですから、直接的な表現をすると処罰される危険があります。
そのため、このような童話にして表現したのだと思います。
詳しい内容は米地先生の論文で解説しているので、是非ご覧ください。↓
なぜ六本腕の竜騎兵か。元にした作品。電気総長のモデルなどが書かれています。
賢治の風刺系作品