イソップ(アイソーポス)が作ったとされる寓話です。
本当にイソップが作ったかどうかは永遠の謎ですが、出来のいいものが今でも語り継がれているのでしょう。
内容は語られ尽くされていると思いますが、章立て表を用いて「構造を読む」という視点で読み解いてみました。
参考にしたのはこの本です。
- 1.すっぱいブドウ
- 2.北風と太陽
- 3.うさぎとカメ
- 4.アリとキリギリス
- 5.オオカミ少年
- 6.金の斧と銀の斧
- 7.田舎のネズミと町のネズミ
- 8.肉をくわえた犬
- 9.ガチョウと黄金の卵
- 10.ネズミの恩返し
- 11.カラスと水差し
- 12.ライオンの分け前
1.すっぱいブドウ
あらすじ
お腹を空かせた狐は、おいしそうなぶどうを見つけました。
食べようとして懸命に跳び上がりますが、うまく届きません。
立ち去る際に、狐は「どうせこんな葡萄は酸っぱいに決まっている。」と吐き捨てました。
教訓:力不足で出来ないのに、時のせいにする。
原題は15.「狐と葡萄」です。
章立て表を作ると対称構成になります。
イソップ寓話では、狐=ずる賢いやつと描写されていることから、
作者の意図としては、ずる賢い奴をバカにする目的で描かれたと思います。
「ずる賢いくせに強がって言い訳してて草」みたいに。
しかし、このような自己正当化や合理化というのは、ずる賢い奴に限らず、人間の普遍的な感情です。
この物語は、それを簡潔に分かりやすく描いているから、今でも読み継がれていると思います。
2.北風と太陽
あらすじ
ある時、北風と太陽が力比べをすることになりました。
そこで、通りすがりの旅人の服を脱がせることができるかという勝負になりました。
まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の服を吹き飛ばそうとします。
しかし、寒さを嫌った旅人が服をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができませんでした。
その次に、太陽が暖かな日差しを照りつけます。
すると、旅人は暑さに耐え切れずに、今度は自分から服を脱いでしまいました。
教訓:説得が強制より有効であることが多い。
原題も同じく、46.「北風と太陽」です。
章立て表を作ると、BとCが対になっています。
道ゆく人が他人の意思(=北風や太陽)ではなく、自分の意思で行動したと思ってるところがこの作品のポイントです。
北風は勢い任せに服を脱がそうとしてますが、太陽は穏やかにゆっくりと服を脱がそうとしてます。
このことから、ゆっくりと進む環境の変化や危機には気付きにくいという、ゆでガエル理論の恐ろしさも表現していると思います。
3.うさぎとカメ
あらすじ
うさぎとカメが山のふもとまで、かけっこの勝負をすることになりました。
うさぎがどんどん先へ行き、カメを置いていきました。
うさぎは疲れていたので、少し眠ります。
その間にカメに追い抜かされ、勝負に負けてしまいました。
教訓:素質も磨かなければ努力に負けることが多い。
原題は226.「亀と兎」です。
うさぎとカメのキャラ描写が全てです。
構成は北風と太陽と同じ対称構造ですが、主張は違います。
怠け者より真面目な者が優れていることを表現するために、亀を後ろの方に置いたのでしょう。
北風と太陽も主張したいことを後ろの方においてますね。
後の方に主張したいことを置くというのは、論説文の構成と似ています。
余談ですが、物語の構造がバトル漫画にも似ているなと思いました。
悪人が最初に追い詰めますが、最終的には善人が逆転するという。
追記
この内容を発展させた作品がアニメで出ました。
技術が進歩しても、人間の本質は変わらないものなんですかね。
4.アリとキリギリス
あらすじ
アリ達は夏の間に食べ物を集めています。
そんなアリ達を尻目にキリギリスは必要ないと歌いながら過ごしていました。
冬が来ると食べ物が全然手に入りません。
困ったキリギリスは、アリに食べ物を分けてもらおうとお願いします。
しかし、アリに断られてしまいました。
教訓:原文ではなし。将来に備えたり、真面目に働くことは重要である。
教訓では真面目の美徳を説いてると言われます。
しかし、キリギリスの怠けっぷりを批判しているだとか、アリの強欲さを描いているとか解釈が別れています。
結論から言うと、元々アリの強欲さを揶揄する意図はなかったと思います。
原文は373.「蟬と蟻」、112.「蟻とセンチコガネ」の2つありまして、
「蝉と蟻」では蟬=遊び人の怠けっぷりをを皮肉っています。
「蟻とセンチコガネ(糞虫)」でもセンチコガネの備えの悪さを揶揄してます。
当時は食料事情が今と異なるので、労働をサボる奴に対して風当たりが強かったと思います。
現在は昔に比べて食べ物に恵まれており、社会状況も変化したので、キリギリスのような人も受け入れられ、アリの強欲さも問題として取り上げられるようになったのでしょう。
5.オオカミ少年
あらすじ
ある村に、羊飼いの男の子がいました。
男の子は、いたずらをしたくなり、「オオカミが来た!」と大声をあげました。
村人が驚いて、駆けつけましたが、それを見て、男の子は大笑いしました。
何日かして、男の子はまた大声をあげました。
「大変だ! オオカミだ。オオカミだ。」
村人は、今度も飛び出してきました。男の子はそれを見て、またもや大笑いします。
村の人たちは笑い物にされたと怒って戻っていきました。
ところがある日、本当にオオカミがやってきて、ヒツジの群を襲いました。
男の子は慌てて、叫び声をあげました。
「オオカミが来た!本当にオオカミが来た!」
しかし、村人達は、何度も嘘をいう男の子を信じようとはしませんでした。
そして、男の子の羊は、オオカミにみんな食べられてしまいました。
教訓:嘘つきが得るものは本当のことを言った時に信じてもらえないことである。
原題は210.「羊飼の悪戯」です。出来事に注目すると対称構造になりますが、
人の方に注目すると、オオカミ襲来を真ん中に挟んだ反復構成になっています。
自分のした行動が後の出来事につながる、因果応報というものを表現するため、反復構成にしたのだと考えられます。
6.金の斧と銀の斧
あらすじ
働き者の木こりは、手が滑って泉に斧を落としてしまいました。
泉の中から女神が現れ、泣いている木こりにどうしたのかと聞くと、木こりは大事な斧を落としたと答えます。
すると女神は泉から金ピカの斧を取ってきて「あなたの落とした斧はこの金の斧ですか」と聞きました。
木こりが正直に違うと答えると、女神は銀の斧を持って現れます。
「違います。古い鉄の斧です」と答えた木こりの正直さに、神さまは拾ってきた鉄の斧と、金銀の斧を全て木こりに渡しました。
これを聞いた欲張りな木こりは、泉に自分の斧を投げ込み、ボロボロの斧を金の斧に換えようとします。嘘泣きで女神をおびき寄せると、木こりのときと同じように金の斧を取ってきて「あなたの落とした斧はこの金の斧ですか」と聞きます。
欲張りな木こりは「それが私の斧です」と口走ります。女神は「嘘つきには斧を返しません」と言い放つと、金の斧を持ったまま泉の中に去っていきました。
嘘をついたため、欲張りな木こりは自分の斧まで無くしてしまうのでした。
教訓:神意は正しいものの味方をする。そして、同じ程度に悪人の敵に回る。
原題は173.「木こりとヘルメス」です。原文では女神ではなく男神です。
構造的には先程のオオカミ少年と同じです。
人の方に注目すると対称構造になり、
出来事に注目すると反復構造になります。
対称構造で正直者と嘘つきを対比させて、反復構造で行動の結果を表現していると思います。
7.田舎のネズミと町のネズミ
あらすじ
町のねずみが田舎に住むねずみの家に遊びに来ます。
質素な暮らしぶりを見た町のねずみは田舎のねずみを自分の家に招待します。
田舎のねずみは豪華な食事に大喜び、都会の暮らしを満喫します。
しかし、そこに人間が現れたので、大急ぎで隠れるはめになりました。
結局、田舎のねずみは危険がいっぱいの町より、質素でも危険の少ない田舎に帰ることにしました。
教訓:原文では記載なし。人の幸せは人それぞれ。
原題も同じく、352.「田舎のネズミと町のネズミ」です。
対称構造です。田舎と町のネズミの暮らしの描写が全てです。
田舎と町の暮らしにはそれぞれ、
田舎:+食べ物に困らない。-贅沢ができない。
町:+贅沢ができる。-食べ物を得るのに命の危険がある。
というメリットとデメリットがあります。
人の幸せは人それぞれという教訓以外にも、リスクとリターン、トレードオフも表現していると思います。
上手い話や豊かな生活にはそれ相応のリスクや理由があるということですね。
8.肉をくわえた犬
あらすじ
肉をくわえた犬が、川を渡っていました。
ふと下を見ると、川の中にも肉をくわえた犬がいます。
犬はそれを見て「あいつの肉の方が大きそうだ」と思いました。
犬は川の中の犬に向かってくわえている肉を奪おうと飛びかかりました。
くわえていた肉は川の中に落ちてしまい、流されていきました。
教訓:欲深いやつにピッタリの話である。
原題は133.「肉を運ぶ犬」です。
対称構造です。水に映る姿が現実との鏡合わせであることを示唆しています。
犬=飼い主の言いなりの例えから、恐らく準権力者の風刺として描かれたと思います。
上司の犬という言葉もありますし。
権力者とまでいかなくても上の立場の人に「調子に乗ってると大切なものまで失ってしまいますよ」と暗に戒める際にも使用したのではないのでしょうか。
9.ガチョウと黄金の卵
あらすじ
男がある日、金の卵を産むガチョウを神様からもらいました。
男は、金の卵が少しずつしか手に入らないことに我慢できなくなりました。
そこで男は、お腹の中身が金だと思い、ガチョウのお腹を切りさきました。
ところが、ガチョウのお腹には金はなく肉であり、男はもう二度と金の卵を手に入れることができなくなりました。
教訓:欲張りすぎると全てを失う
原題は87.「金の卵を産む鵞鳥(ガチョウ)」です。
対称構造です。ガチョウは日本で言うニワトリの立ち位置です。
飼い主と家畜の関係から、これも権力者を戒めるために書かれた話だと思います。
ビジネスでも有名な話ですね。
短期的な利益(目の前の金の卵)に目がくらむと、長期的な利益(今後産まれる金の卵)を生み出す資源を失い、全て得られなくなってしまう。
経営者や上司など、上の立場の人には特に考えさせられる話なんじゃないでしょうか。
最近の事例だと某ドームがこの寓話にピッタリですね。
なんか変だなと思ったら、この話を読み直してみるのも良いかもしれません。
話が逸れましたが、現代でも通じる内容だから読み継がれているのだと思います。
10.ネズミの恩返し
あらすじ
ライオンに捕まったネズミが、命乞いをして見逃してもらいます。
後日、ライオンが網にかかったときにネズミが現れ、網を噛み破いてライオンを助けます。
教訓:いかなる有力者も時勢が変われば弱いものの助けになる。
原題は150.「ライオンとネズミの恩返し」です。
上のような教訓を言うために、二つの出来事を対にしています。
反復構造にもなっています。
ライオン=権力者、ネズミ=弱者や平民であることから、元々は権力者の横暴を防ぐために書かれたと思います。
強さというのは一定のものではなく、変化するものですから、その点を指摘したのは優れていると思います。
11.カラスと水差し
あらすじ
長い旅をしていたカラスは喉がカラカラに渇いていました。
そんな時、一つの水差しを見つけ、水が飲めると喜んで飛んで行きました。
その水差しには、少ししか水が入っていなかったので、くちばしが水面に届きませんでした。
カラスは何とかして水差しをひっくり返そうとしましたが、しっかり立っていたため、無駄に終わりました。
まだ諦めきれないカラスは、小石を集めて、水差しの中へ落としました。
すると、中の水はどんどんかさを増して、くちばしのところまで届きました。
こうしてカラスは喉を潤して、また旅に出ました。
教訓:知恵が力をしのぐ
原題は390.「嘴細烏(ハシボソガラス)と水差」です。
対称構造です。ポイントはBとCの対句です。
力より知恵の方が優れていることを言いたいために、力での試行と知恵の試行を対比させたのだと思います。
12.ライオンの分け前
あらすじ
ライオンとロバとキツネが狩りに出かけます。
大量に獲物が取れたので、ロバがそれを均等に分けたところ、ライオンは怒ってロバを食べてしまいました。
その後、キツネに再度獲物の分配を命じました。
キツネは、獲物のほとんどをライオンに差し出し、自分の分け前は少しになるように分配しました。
ライオンはその分配に満足し、キツネになぜこのような分け方にしたかを聞くと、こう答えました。
「ロバの運命が、この分け方を教えてくれました」
教訓:他人の不幸が人を賢くする
原題は149.「ライオンとロバと狐」です。
英語の熟語 Lion's Shareの語源にもなった話です。
ライオン:権力者、ロバ:愚か者、狐:ずる賢いもののシンボルです。
ポイントはBとCの対句です。
ロバとキツネを対比させて他人の不幸が人を賢くすることを言うために、このような構造にしたと思います。
要するに、人のふり見て我がふり直せってことです。
追記
似たような話がありまして、
原題は339.「ライオンと野生のロバ」です。
ライオンとロバが共同で狩りをした結果、手柄を全部ライオンに取られるという話です。
胸糞な内容です。
こちらも対称構造です。狩りの分担と獲物の分担が対になっています。
教訓は「自分より強いものと組んだり、共同で行ってはならない」です。
個人的には「自分より強く、悪徳な奴と組んではいけない」の方が適していると思います。
紀元前6世紀頃の話ですから、教訓が現代には通じなかったり、ずれている部分もあります。
しかし、どれも対称構造や反復構造を上手く用いて、物語を作り上げていることがお分かりいただけたかと思います。
イソップ寓話は他にもありますが、とりあえずこの辺で解説をやめます。
また機会や要望があればやりたいと思います。