グリム兄弟によって編纂された「ドイツ伝説集」で取り上げられたお話です。
読み解きの前に
この話は、1284年に起こったとされる行方不明事件が元になっています。
ドイツ伝説集で紹介された市庁舎の銘文にはこう書かれています。
主キリスト生誕の後一二八四年
ハーメルンで生を享けし子等百三十人
笛吹男に連れ出され
ケッペン(恐らくコッペンベルグ)の山中へと消ゆ
元ネタの事件で章立て表を作ってみましたが、
情報量が少なすぎて読み解きのしようがありません。
私の勝手な推測ですが、1284年の行方不明事件を元に作られた物語が語り継がれていったと思います。実際、ネズミのエピソードは、初出の事件から約300年後の1565年の「チンメルン伯年代記」で追加されたことが指摘されています。
https://www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/01/veritas15-01.pdf
事件の詳細は不明ですが、今日までこの作品が読み継がれてきたことは揺るぎない事実です。
実在の行方不明事件の真相については専門家の方々に任せるとして、ここでは文学作品として読み解きを進めて行きます。
作品構成
章立て表を作ると三幕構成になります。
日時に注目すると対称構造になり、
出来事に注目すると反復構造になります。
別の言い伝えでは子守の娘ではなく、二人の子供が帰ってきた話も紹介されていますが、構成は変わりません。
事件にネズミのエピソードを追加したのは、冒頭集約のためでしょう。
今後の展開を暗示すると同時に、金を払わなかったからバチが当たって子供達が連れ去られたという因果を示しています。
ここでは、グリム兄弟が最初に紹介した子守の娘が帰ってきたバージョンで読み解きしていきます。
イベントを見比べていくと、どれも大人が子供やネズミといった小さな存在を連れ出すという意味では共通しています。
それに金色の部分が浮きますね。金を渋ったことで行方不明の悲劇が起こりました。
「平家物語」の琵琶法師のように、こういう話は旅人が語っていました。ですから、自分達のようなはぐれものを大事にしないと痛い目を見るという主張を込めたのだと推測できます。
ですが、これだけではありません。
後味悪い話ですが、ツッコミどころがあります。B-2の部分です。特に水色の部分です。
子供達と言っても4歳から成年になった人達がさらわれる対象になっています。
どうやって大人と成年、子供と大人を分けているんでしょう。ご都合主義マシマシです。笛吹き男に都合が良すぎます。
こういう違和感や不自然な点は構成解析の重要なポイントです。
本作の主題はここにあります。
子どもの倫理
「ハーメルンの笛吹き男」の題名が有名ですが、
グリム兄弟による原題は「ハーメルンの子供たち」です。
笛吹き男のインパクトがすごいですが、あいつはただの舞台装置です。
主題は子供たちなのです。
実は笛吹き男と大人達は対になっています。
笛吹き男はパッチワークです。大人達はおそらく、いろんな服を着ています。
パッチワークなのは笛吹き男が、大人達と対称なのを暗に示しているからでしょう。
赤い帽子は中世ヨーロッパでは権威や権力の象徴です。
子供から見れば大人達は上の存在です。
大人達は、笛吹き男にネズミをたくさん殺させておいて、お金を払いません。
夜、子供達が男に連れ出されているのに気づきもしません。
大人達はネズミ駆除に対しても、子供達に対しても不適切な対応なのです。
対称的に笛吹き男はどちらも適切な対応をしていますね。
ネズミを確実に駆除しましたし、子供達に危害を加えることなく、全員を連れ出しています。
やってることはただの誘拐なのですが。
作品の構造からみても明らかなように、ネズミは子供を暗に示しています。
現地のお祭りでも子供はネズミの格好をしてますね。
大人の不適切な対応により、子供を失ってしまいました。気づいた時にはもう遅すぎました。お金を払っても帰ってくることは二度とありません。
つまり、この作品は、子供のための物語である「童話」というより、大人に教訓を伝える「寓話」なのです。
子供はお金で代えられないぐらい大切な存在であり、疎かにすると大きな代償を払うことになるというのが本作の主張です。今日でも通じる内容ですね。