気ままに読み解き

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【クラムボンはわらったよ】「やまなし」解説【宮沢賢治】

1923年に発表された本作。国語の教科書にも載っている賢治の代表作です。

小学生どころか大人でも頭を抱えるほど難解で有名です。

しかし、その内容は日本人なら直感的に分かるものだと思います。

https://tezukaosamu.net/jp/manga/506.html

あらすじ

作者が2枚の幻燈(映像)を見せます。

1.五月

カニの兄弟がクラムボンや魚の死を見ます。

その様子を見て、恐怖を感じました。

 

2.十二月

カニの兄弟が泡の大きさを競います。

川に落ちてきたやまなしを追いかけて、家に帰ります。

 

作者の幻燈はこの2枚でおしまいです。

 

全文↓

www.aozora.gr.jp

 

意味不明です。一見読んだだけでは何のことかさっぱり分かりません。

内容を把握するために、まずは作品の構造をとらえていきます。

 

 

1.全体の構成を読む

全体の構成は上の図のような額縁構造です。極端に簡略化しました。

ただ、この図では分かりづらいので、章立て表を作成します。

このように、表計算ソフトに内容を打ち込んでいきます。めんどくさいです。

 

極端に簡略化するとこのようになります。

額縁構造ですが対称構造です。五月と十二月が対になっています。

 

五月と十二月の内容を大まかに分けるとこうなります。

全体でも、章単体でも対称構造を作っています。

五月が死の世界、十二月が生の世界だと捉えてしまいます。

しかし、それはカニから見た話です。

カニ以外から見たら魚や鳥、クラムボンたちがいることから生の世界。

冬はやまなし以外の生物はいませんから、死の世界です。

どちらの季節も死と生が裏表の関係であり、常に死と生の両方が共存しています。

次は五月と十二月を比較します。

 

2.五月と十二月を比べる

実は対象構造だけでなく、反復構造もあります。

つまり、この作品は同じの事柄を二つの視点で描いています。

五月:動物の死⇔十二月:植物の死

五月:ぽつぽつとした泡を吐く⇔十二月:より大きな泡を吐く

五月:かわせみの尖ったくちばし⇔十二月:やまなしの丸い果実

対句に満ちています。異常なほどの高密度です。

追求しだすとキリがないので、この記事ではクラムボン、イサド、そしてやまなしの三つに絞って説明します。

まずは、よく言われるクラムボンについて。3の部分を比較します。

五月にクラムボンは死にました。魚に食べられたからです。
この部分は十二月に、カニの子供達が泡の大きさを争う場面に対応します。

やけに泡の大きさの勝ち負けにこだわります。

意味不明ですが、子供の立場から見れば当然です。

クラムボンと魚の死を見て、この世界は弱肉強食。勝たなければクラムボンのように自分も死んでしまうかもしれない。

そう思い込んでしまっています。完全にトラウマになっています。

だから、泡の大きさの勝ち負けにこだわるのです。

 

五月では、動物の死が描かれています。

魚が食べるものは虫やプランクトンです。クラムボンはクラブプランクトンを略した言葉にも聞こえますし、またcrab(カニ)+born(生まれる)の単語にも似ています。

以上のことから、おそらくクラムボンカニの幼生でしょう。こんな姿をしています。

https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/kaisei/hp-1/plankton/zoea.html

 

次はイサドについて。これも3の部分を比較します。

五月、魚は鳥に怖いところ(死後の世界)に連れていかれます。

これに対応するのは、十二月のイサドに連れていくかで揉める場面です(上のコマです)。

カニの子供が行きたいのですから、イサドは怖いところではない楽しいところです。

おそらくイサドというのは異砂土、つまり異国の砂の地のことでしょう。

 

次にやまなしについて。見るべき部分は5番の部分です。

五月では魚が死にます。十二月ではやまなしが死にます。

どちらも死にますが、父ガニが言うには、この後やまなしは酒になるそうです。

何故でしょうか。

それは、やまなしが発酵するからです。

発酵とは、微生物の働きで食べ物が変化することで、化学式で書くとこうなります。

 

C6H12O6→2C2H5OH+2CO2

 

糖(フルクトース)がエタノール二酸化炭素に分解されたことを示しています。

やまなしは"果物"としては死にましたが、エタノール二酸化炭素

すなわち、お酒に生まれ変わったと考えることもできます。

作品の主題はここです。

 

輪廻転生と物質循環

作者は熱心な仏教徒ですから、根底には仏教思想があります。

この作品の理解に必要なのは輪廻転生です。

輪廻転生とは、人が死ぬと次は新しい生命に生まれ変わるという考えです。

意外に思うかもしれませんが、この考えは現代の科学で見ても理にかなっています。

watashinomori.jp

 

食べたものが消化、吸収されて栄養となります。食べた生物の身体の一部になります。

五月では、クラムボン→魚→鳥の流れで食べられています。

クラムボンは魚の身体の一部になり、魚は鳥の身体の一部になります。

このような、強い生き物が弱い生き物を食べる流れのことを生食連鎖と言います。

 

動物が死ぬと、死体となって、微生物に分解されます。

その後は土に還り、養分となって別の物質になります。

十二月では、やまなしがエタノール二酸化炭素に分解され、お酒になります。

このように、微生物や菌類などによって分解される流れのことを腐食連鎖と言います。

 

生食連鎖と腐食連鎖。どちらも物質循環の一種です。

物質循環とは、自然にある物質が形を変えながら移動や循環することです。

ja.wikipedia.org

例えば、炭素はデンプンや二酸化炭素など別の形に変えながら、この世界を循環しています。

窒素も、肥料に欠かせないアンモニアやタンパク質など別の形に変わりながら、この世界を循環しています。

無論、他の元素も様々な形に変えながらこの世界を循環しています。

 

この現象を宗教的に言い換えます。

我々は自然という大きな家族の一員であり、死んだら終わりなのではありません。

死んでも姿や形を変えて他の生命になるのです。

 

3.「やまなし」というタイトルの意味

このことを踏まえると、なぜタイトルがやまなしなのか分かります。

ここ2、3日がヤマ。という言い回しがあるように、

"やま"という言葉には死ぬかどうかの分かれ目という意味もあります。

だから、"やま"がないことは、すなわち死ぬかどうかの恐怖がない。

つまり、本作は死の恐怖を克服する物語だから、タイトルが“やまなし”なのです。

 

意味不明ながらも名作とされているのは、死の向き合い方がどこか日本人の琴線に触れるからでしょう。

 

まとめます。

カニの子供たちは、クラムボンや魚の死を見て死ぬことは怖いものだと知りました。

しかし、やまなしの死を見て、死というのは終わりではなく新しい生命になることも知ります。

そこで物語は終わります。

そこからどう感じたか、死の恐怖をどう乗り越えるかは読者に委ねています。

だから二枚の幻燈を見せて終わるのです。

 

下敷き作品

この話の下敷きに岩手県の民話「山梨とり」が指摘されています。

minwanoheya.jp

「山梨とり」は、母親の病気を治すために川のそばにある山梨を取りにいく話です。

水害事故の防止と目上への敬意が作品の主張なのでしょうが、

ポイントは山梨が病気を治す果物として描かれていることです。

上述した通り、その果物は"やま"がないからです。ダジャレですね。

 

後世への影響

使用した画像は、手塚治虫のやまなしです。

tezukaosamu.net

二つの幻燈をお芝居と現実の二つに再解釈して描いています。

死の恐怖を戦時中に、死の克服を終戦の訪れに置き換えています。

 

本作の主旨は火の鳥鳳凰編のこのシーンに近いです。

renote.net

我王「生きる?死ぬ?それがなんだというんだ。」

宇宙のなかに人生などいっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!

 

やまなしを漫画化できたのですから、恐らく作品の内容も読めたのでしょう。

note.com

 

死の克服をテーマにした作品

賢治は仏教的・科学的な視点で死について向き合っています。

トルストイは膨大な対句で、志賀直哉は自身の体験と西洋哲学で向き合っています。

どの方法が良いかは皆様にお任せしますが、三者三様異なるアプローチで取り組んでいるのは面白いですね。

 

イワン・イリノチの死

note.com

 

城の崎にて

note.com

 

 

参考文献

bungakubu.com

 

 

https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/14499/files/lifedesign18_167-180.pdf