イソップ(アイソーポス)が作ったとされる寓話です。
本当にイソップが作ったかどうかは永遠の謎ですが、出来のいいものが今でも語り継がれているのでしょう。
内容は語られ尽くされていると思いますが、章立て表を用いて「構造を読む」という視点で読み解いてみました。
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b247082.html
参考にしたのはこの本です。
1.すっぱいブドウ(原題:狐と葡萄)
あらすじ
お腹を空かせた狐は、おいしそうなぶどうを見つけた。
食べようとして懸命に跳び上がるが、うまく届かなかった。
立ち去る際に、狐は「どうせこんな葡萄は酸っぱいに決まっている。」と吐き捨てた。
教訓:力不足で出来ないのに、時のせいにする。
A.キツネ
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1
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狐がぶどうを見つける
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B.キツネとブドウ
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1
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取ろうとするが、届かない
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C.キツネ
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1
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狐が立ち去る
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2
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「まだ熟れてない」
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章立て表を作ると対称構成になります。
イソップ寓話では、狐=ずる賢いやつと描写されていることから、
元々の作者の意図としては、ずる賢い奴をバカにする目的で描かれたと思います。
「ずる賢いくせに強がって言い訳してて草」みたいに。
しかし、このような自己正当化や合理化というのは、ずる賢い奴に限らず、人間の普遍的な感情です。
この物語は、それを簡潔に分かりやすく描いているから、今でも読み継がれていると思います。
2.北風と太陽
あらすじ
ある時、北風と太陽が力比べをすることになりました。
そこで、通りすがりの旅人の服を脱がせることができるかという勝負になりました。
まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の服を吹き飛ばそうとします。
しかし、寒さを嫌った旅人が服をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができませんでした。
その次に、太陽が暖かな日差しを照りつけます。
すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から服を脱いでしまいました。
教訓:説得が強制より有効であることが多い。
A.勝負
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1
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北風と太陽、どっちが強いか言い争い
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2
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道ゆく人の服を脱がせるか勝負
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B.北風
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1
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北風が強く吹き付けるが、男はしっかり服を押さえる
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2
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一層勢いを強めるが、男は服を着込む
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3
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疲れ果てて太陽に番を譲る
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C.太陽
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1
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太陽が穏やかに照り付け、男は余分の服を脱ぐ
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2
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熱を強めて、男は暑さに耐えかねて裸になる
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章立て表を作ると、BとCが対になっています。
道ゆく人が他人の意思(=北風や太陽)ではなく、自分の意思で行動したと思ってるところがこの作品のポイントです。
北風では強く勢い任せに服を脱がそうとしてますが、太陽では穏やかにゆっくりと服を脱がそうとしてます。
このことから、ゆっくりと進む環境の変化や危機には気付きにくいという、ゆでガエル理論の恐ろしさも表現していると思います。
3.うさぎとカメ(原題:亀と兎)
あらすじ
うさぎとカメが山のふもとまでかけっこの勝負をすることになりました。
うさぎがどんどん先へ行き、カメを置いていきました。
うさぎは疲れていたので、少し眠っているとカメに追い抜かされ、勝負に負けてしまいました。
教訓:素質も磨かなければ努力に負けることが多い。
A.勝負
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亀と兎が足の速さで言い争う
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勝負の日時と場所を決めて別れた
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B.うさぎ
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うさぎは生まれつき足速い
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真剣に走らず、道から逸れて眠る
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C.カメ
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亀は生まれつき足遅い
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弛まず走り続け、勝利する
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うさぎとカメのキャラ描写が全てです。
構成自体は北風と太陽と同じですが、主張は違います。
怠け者より真面目な者が優れていることを表現するために、亀を後ろの方に置いたのでしょう。
北風と太陽も主張したいことを後ろの方においてますね。
後の方に主張したいことを置くというのは、論説文の構成と似ています。
余談ですが、物語の構造がバトル漫画にも似ているなと思いました。
悪人が最初に追い詰めますが、最終的には善人が逆転するという。
4.アリとキリギリス(原題:蟬と蟻、蟻とセンチコガネ)
あらすじ
夏の間に食べ物を集めているアリ達。
そんなアリ達を尻目にキリギリスは必要ないと歌を歌いしながら過ごしていました。
冬が来ると食べ物が全然手に入らずに困ったので、アリに食べ物を分けてもらおうとお願いします。
しかし、アリに断られてしまいました。
教訓:原文ではなし。将来に備えたり、真面目に働くことは重要である。
教訓では真面目の美徳を説いてると言われます。
しかし、キリギリスの怠けっぷりを批判しているだとか、アリの強欲さを描いているとか解釈が別れています。
結論から言うと、元々アリの強欲さを揶揄する意図はなかったと思います。
原文は「蟬と蟻」、「蟻とセンチコガネ」の2つありまして、
A.アリ
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1
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冬に、アリが夏の間に溜め込んだ穀物を引っ張り出す
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B.セミ
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1
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腹を空かせたセミが食物をねだる
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C.アリとセミの会話
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1
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夏の間、何をしていたのかね
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2
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怠けていたのではない、忙しく歌っておりました
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3
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夏に笛を吹いていたのなら、冬には踊るが良い
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章立て表から分析すると、原文の蝉と蟻では蟬=遊び人の怠けっぷりをを皮肉っています。
A.センチコガネ>アリ
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1
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夏、アリが食糧集め
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2
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センチコガネは、ずっと働いているアリを見てしんどいことだと驚く
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3
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アリは黙っていた
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B.アリ>センチコガネ
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1
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冬になると、飢えたセンチコガネが、食べ物目当てにアリのところに来る
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2
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アリが言う。あの時苦労していたら、餌に困ることはなかったのに
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蟻とセンチコガネ(糞虫)でもセンチコガネの備えの悪さを揶揄してます。
当時は食料事情が今とは異なるので、労働をサボると後で痛い目を見るよという風潮が強かったと思われます。
今は昔に比べて食べ物に恵まれており、社会状況も変化したので、キリギリスのような人も受け入れられ、
アリの強欲さも問題として取り上げられるようになったのでしょう。
あらすじ
ある村に、羊飼いの男の子がいました。
男の子は、いたずらをしたくなり、「オオカミが来た!」と大声をあげました。
村人が驚いて、駆けつけましたが、それを見て、男の子は大笑いしました。
何日かして、男の子はまた大声をあげました。
「大変だ! オオカミだ。オオカミだ」
村人は、今度も飛び出してきました。男の子はそれを見て、またもや大笑い。
村の人たちは笑い物にされたと怒って戻っていきました。
ところがある日、本当にオオカミがやってきて、ヒツジの群を襲いました。
男の子は慌てて、叫び声をあげました。
「オオカミが来た! オオカミが来た! 本当にオオカミが来た!」
けれども村人達は、何度も嘘をいう男の子を信じようとはしなかったのです。
そして、男の子の羊は、オオカミにみんな食べられてしまいました。
教訓:嘘つきが得るものは本当のことを言った時に信じてもらえないことである。
A
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羊飼い
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羊飼いが悪さをする
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村の人に狼が羊を襲いに来たと嘘をつく
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村の人々
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二度三度は村の人々は飛び出してきた
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村の人々は笑い物にされて戻って行った
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B
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狼襲来
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狼が本当に来た
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羊の群が分断された
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C
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羊飼い
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羊飼いは助けを求めた
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村の人々
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村の人々は気にもかけなかった
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羊飼は羊を失ってしまった
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イベントに注目すると、対称構造になりますが、
人の方に注目すると、オオカミ襲来を真ん中に挟んだ反復構成になっています。
自分のした行動が後の出来事につながる、因果応報というものを表現するため、反復構成にしたのだと考えられます。
6.金の斧と銀の斧(原題:木こりとヘルメス)
あらすじ
働き者の木こりは、手が滑って泉に斧を落としてしまいました。
泉の中から女神が現れ、泣いている木こりにどうしたのかと聞くと、木こりは大事な斧を落としたと答えます。
すると女神は泉から金ピカの斧を取ってきて「あなたの落とした斧はこの金の斧ですか」と聞きました。
木こりが正直に違うと答えると、女神は銀の斧を持って現れます。
「違います。古い鉄の斧です」と答えた木こりの正直さに、神さまは拾ってきた鉄の斧と、金銀の斧を全て木こりに渡しました。
これを聞いた欲張りな木こりは、泉に自分の斧を投げ込み、ボロボロの斧を金の斧に換えようとします。嘘泣きで女神をおびき寄せると、木こりのときと同じように金の斧を取ってきて「あなたの落とした斧はこの金の斧ですか」と聞きます。
欲張りな木こりは「それが私の斧です」と口走ります。女神は「嘘つきには斧を返しません」と言い放つと、金の斧を持ったまま泉の中に去っていきました。
嘘をついたばかりに、欲張りな木こりは自分の斧まで無くしてしまうのでした。
教訓:神意は正しいものの味方をする。そして、同じ程度に悪人の敵に回る。
A.正直者
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1
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ある男が斧を飛ばしてしまった
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斧が流されて、嘆く
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ヘルメスが憐れに思ってやって来た
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2
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泣いている訳を聞き、潜って金の斧を取ってくる
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これがお前のものかと聞く
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それではない
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銀の斧を取ってくる
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これがお前のものかと聞く
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首を振る
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本人の斧を運んでくる
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自分のものだと言う
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3
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ヘルメスは三つとも授ける
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B.語る
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1
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男は仲間のところに行き、一部始終を語る
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聞いた一人が同じ目に遭いたいと言う
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C.嘘つき
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1
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斧を飛ばして、泣く
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ヘルメスがやって来る
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2
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泣いている訳を聞き、潜って金の斧を取ってくる
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これがお前のものかと聞く
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それだと答える
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3
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神は渡さず、本物の斧も返さなかった
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構造的には先ほどのオオカミ少年と同じです。
正直な奴と悪い奴を対比させるため対称構造に、行動の違いが違う結果をもたらすことを表現するために、反復構造にしたと考えられます。
7.田舎のネズミと町のネズミ
あらすじ
町のねずみが田舎に住むねずみの家に遊びに来ます。
質素な暮らしぶりを見た町のねずみは田舎のねずみを自分の家に招待します。
田舎のねずみは豪華な食事に大喜び、都会の暮らしを満喫します。
しかし、そこに人間が現れたので、大急ぎで隠れるはめになりました。
結局、田舎のねずみは危険がいっぱいの町より、質素でも危険の少ない田舎に帰ることにしました。
教訓:原文では記載なし。人の幸せは人それぞれ。
A
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ネズミ
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田舎のネズミと町のネズミが一緒に暮らす
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B
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畑
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二人で畑へ食事に出かける
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土まみれの穀物を食べる
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「惨めな暮らしだ。うちのところに来て贅沢しよう」
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家
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二人で人間の家へ食事に出かける
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食べ物の場所を教えてもらう
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チーズを取ろうとしたら、人間が戸を開ける
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田舎のネズミは逃げる
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しばらくじっとした後、いちじくに手を出そうとする
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何かを取りに人間が近づいて来た
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二匹は穴に隠れる
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C
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ネズミ
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君は金持ちでいたまえ。有り余るご馳走を楽しめ
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危険がいっぱい
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貧しくても怖いものなしの方がいい
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対称構造です。田舎と町のネズミの暮らしの描写が全てです。
田舎:+食べ物に困らない。-贅沢ができない。
町:+贅沢ができる。-食べ物を得るのに命の危険がある。
このことから、上記の教訓以外にリスクとリターン、トレードオフも表現していると思います。
上手い話や豊かな生活にはそれ相応のリスクや理由があるということですね。
8.肉をくわえた犬(原題:肉を運ぶ犬)
あらすじ
肉をくわえた犬が、川を渡っていました。
ふと下を見ると、川の中にも肉をくわえた犬がいます。
犬はそれを見て「あいつの肉の方が大きそうだ」と思いました。
イヌは川の中の犬に向かってくわえている肉を奪おうと飛びかかりました。
くわえていた肉は川の中に落ちてしまい、流されていきました。
教訓:欲深いやつにピッタリの話である。
A.犬と肉
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犬が肉を咥えて川を渡る
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B.犬の行動
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水に映る自分の影を見る
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影を見て別の犬が大きな肉を咥えていると思う
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自分のを捨て、相手のものを奪おうと飛び掛かる
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C.犬と肉
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別の肉は元々ない
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別の肉は川に流された
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対称構造です。構造はすっぱいブドウと変わりません。
水に映る姿が現実との鏡合わせであることを示唆しています。
犬=飼い主より下の立場の例えから、恐らく準権力者の風刺として描かれたと思います。
権力者とまでいかなくても上の立場の人に「調子に乗ってると大切なものまで失ってしまいますよ」と戒める際にも使用したのではないのでしょうか。
9. ガチョウと黄金の卵(原題:金の卵を生むガチョウ)
あらすじ
男がある日、金の卵を産むガチョウを神様からもらいました。
男は、金の卵が少しずつしか手に入らないことに我慢できなくなりました。
そこで男は、お腹の中身が金だと思い、ガチョウのお腹を切りさきました。
ところが、ガチョウのお腹には金はなく肉であり、男はもう二度と金の卵を手に入れることができなくなりました。
教訓:欲張りすぎると全てを失う
A.ガチョウ
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神が男に金の卵を産むガチョウを授ける
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B.男の心
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男は金の卵が少しずつ現れるのが我慢できない
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C.ガチョウ
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ガチョウの中身を金だと思ってガチョウを殺す
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中身は金ではなく、肉であり、卵を失ってしまった
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対称構造です。構造的には先ほどのすっぱいブドウと変わりません。
ガチョウは日本で言うニワトリの立ち位置です。飼い主と家畜の関係から、これも権力者を戒めるために書かれた話だと思います。
ビジネスでも有名な話ですね。
短期的な利益(目の前の金)に目がくらむと、長期的な利益(今後産まれる金の卵)を生み出す資源を失い、全て得られなくなってしまう。経営者や上司など、上の立場の人には特に考えさせられる話なんじゃないでしょうか。
最近の事例だと某ドームがこの寓話にピッタリですね。
なんか変だなと思ったら、この話を読んでみることを勧めます。
話が逸れましたが、現代でも通じる内容だから今でも読み継がれているのだと思います。
10.ネズミの恩返し(原題:ライオンとネズミの恩返し)
あらすじ
ライオンに捕まったネズミが、命乞いをして見逃してもらいます。
後日、ライオンが網にかかったときにネズミが現れ、網を噛み破いてライオンを助けます。
教訓:いかなる有力者も時勢が変われば弱いものの助けになる
A.ライオン>ネズミ
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寝ているライオンの上でネズミが走った
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ネズミを捕まえ、一呑みにしようとする
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命乞いをし、助けてくれるなら恩を返すと言う
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笑って逃す
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B.ネズミ>ライオン
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ライオンは猟師に捕えられ、ロープで木に縛り付けられる
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ネズミが呻き声を聞きつけ、ロープを齧り切る
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ライオンを解き放つ
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あの時、笑ったけどネズミにも恩返しはできる
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上のような教訓を言うために、二つの出来事を対にしています。
ライオン=権力者、ネズミ=弱者や平民であることから、元々は権力者の横暴を防ぐために書かれたと思います。
強さというのは一定のものではなく、変化するものですから、その点を指摘したのは優れていると思います。
11.カラスと水差し(原題:ハシボソガラスと水差)
あらすじ
長い旅をしていたカラスは喉がカラカラに渇いていました。
そんな時、一つの水差し見つけ、水が飲めると喜んで飛んで行きまちた。
その水差しには、少ししか水が入っていなかったので、くちばしが水面には届きませんでした。
カラスは何とかして水差しをひっくり返そうとしましたが、水差しがしっかり立っていたため、無駄に終わりました。
まだ諦めきれないカラスは、小石を集めて、水差しの中へ落としました。
すると中の水はどんどんかさを増して、くちばしのところまで届きました。
こうしてカラスは喉を潤して、また旅に出ました。
教訓:知恵が力をしのぐ
A
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カラス
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喉の渇いたカラスが水差しのところに行く
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B
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力
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何とかしてひっくり返そうとする
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水差しはしっかり立っていて倒せない
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知恵
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小石を水差しいっぱいまで投げ込む
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水を下から上へ押し上げた
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C
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カラス
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カラスは喉の渇きを潤した
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対称構造です。ポイントはBの対句です。
力より知恵の方が優れていることを言いたいために、このような構造にしたと思います。
これも構造だけをみると北風と太陽、ウサギとカメと同じですね。
12.ライオンの分け前(原題:ライオンとロバとキツネ)
あらすじ
ライオンとロバとキツネが狩りに出かけます。
大量に獲物が取れたので、ロバがそれを均等に分けたところ、ライオンは怒ってロバを食べてしまいました。
その後、キツネに再度獲物の分配を命じました。
キツネは、獲物のほとんどをライオンに差し出し、キツネの分け前は少しになるように分配しました。
ライオンはその分配に満足し、キツネになぜこのような分け方にしたかを聞くと、キツネは答えました。
「ロバの運命が、この分け方を教えてくれました」
教訓:他人の不幸が人を賢くする
A
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狩り
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三人で狩りに出かける
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獲物がどっさり取れた
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B
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ロバ
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ライオンはロバに分けさせた
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ロバが三等分に分けた
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ライオンは怒ってロバを食べた
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キツネ
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ライオンはキツネに分けさせた
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キツネはほとんどをライオンに、自分は少しにした
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C
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キツネの回答
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ライオンが誰がこの分け方を教えたと聞く
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キツネはロバの災難ですと言う
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英語の熟語 Lion's Shareの語源にもなった話です。
ライオン:権力者、ロバ:愚か者、狐:ずる賢いもののシンボルです。
普通の三幕構成ですが、ポイントはBの内部の対句です。
ロバとキツネを対比させて他人の不幸が人を賢くすることを言うために、このような構造にしたと思います。
要するに、人のふり見て我がふり直せってことです。
紀元前6世紀頃の話ですから、教訓が現代には通じなかったり、ずれている部分もあります。
しかし、どれも対称構造や反復構造を上手く用いて、物語を作り上げていることがお分かりいただけたかと思います。
イソップ寓話は他にもありますが、とりあえずこの辺で解説をやめます。
また機会や要望があればやりたいと思います。