気ままに読み解き

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「月夜のでんしんばしら」解説【宮沢賢治】

今回は、読み解きというより論文の紹介です。

ただ、構成読み解き家として、章立て表も交えてざっくりと解説していきたいと思います。

あらすじ

夜中、線路に入った恭一は電信柱が動く姿を目にします。

動くでんしんばしらを見たり、その長である電気総長と話した後、

元の景色に戻ります。

現実か幻かわからない不思議な体験でした。

 

全文はこちらから↓

宮沢賢治 月夜のでんしんばしら

 

米地 文夫先生の論文です。詳細な解説はこちらからどうぞ↓

cir.nii.ac.jp

 

章立て表

表向きは不思議な話ですが、裏の顔もあります。

物語の構成は、普通の対称構造です。

ポイントはBの内部の電信柱と電気総長の部分です。

電信柱、特に六本腕の竜騎兵はこんな格好です。記事の初めにも載せた絵です。

この絵は賢治が書いたものです。暗くて不気味です。

電信柱の中に重症の者もいるのに、みんなただ北へ行進しています。やっぱり不気味です。

一方、電気総長は明るいです。英語や科学の知識、自分の電信柱達を主人公の恭一に自慢します。

怪我で重症の電信柱もいるんだから自慢する前に労わりなさいよ。

 

話を戻しまして、

電信柱と電気総長を対比させて何を表現したかったというと、軍部批判です。

特にシベリア出兵の継続に対する批判です。

 

シベリア出兵

ロシアで誕生した世界初の社会主義政権「ソビエト政権」の勢力拡大を防ぐため、連合国や日本はシベリアに兵を送りました。

詳しい解説は下記の記事に任せますが、

manareki.com

表向きは、連合国のチェコスロバキア軍の救出に協力するために、日本は兵を派遣します。

しかし、別の目的として、自国の利益のためにシベリアを支配しようと企みます。

恐らくアメリカなど他の国にも見抜かれています。

 

1920年までに他の国がシベリアから撤退しても、日本軍は多くの兵士をシベリアに送ったままでした。

出兵が終わったのは1922年です(作品の完成時期は1921年9月)。

 

出兵の大義を失っているのにも関わらず、兵を派遣し続ける軍部。

軍人が次々と意味もなく犠牲になるのですから、国民が不満や不平を持つのは想像に難くありません。

 

勝手な自分の想像ですが、何も成果が上げられないとメンツが丸潰れになるどころか、軍での立場も危うくなります。

ですから、シベリア出兵をやめられなくなったのだと思います。

傷口が浅いうちにやめておけばいいものを。

何だか今の状況にも通じるような気がします。

 

話が逸れましたが、このような軍部を批判しようにも、当時は今ほど表現の自由が認められていません。

それにロシア革命以降、政府は革命を恐れていたので、そういった勢力を押さえつけようとしました。

ですから、直接的な表現をすると処罰される危険があります。

そのため、このような童話にして表現したのだと思います。

 

詳しい内容は米地先生の論文で解説しているので、是非ご覧ください。↓

cir.nii.ac.jp

なぜ六本腕の竜騎兵か。元にした作品。電気総長のモデルなどが書かれています。

 

 

賢治の風刺系作品

dangodango.hatenadiary.jp

naginagi8874.hatenablog.com

 

「グスコーブドリの伝記」解説【宮沢賢治】

1931年 グスコーブドリの伝記 送稿

宮沢賢治の生前に発表された数少ない作品です。

ブドリの自己犠牲や作中の科学知識に目が行きがちですが、それだけではありません。

裏の内容も含んだ重層的な話です。

 

 

 

あらすじ

グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーヴの森に住む木こりの息子です。

冷害による飢饉(ききん)が原因で両親を失い、妹のネリを人さらいに連れ去られてしまいました。

てぐす工場に労働者として拾われますが、火山が噴火した影響で工場が閉鎖してしまいます。

その後、赤ひげというおじさんの元で農業に携わったのち、クーボー大博士に会いに行きます。クーボー大博士の紹介で、ブドリはペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師になります。

そこで、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した肥料、潮流発電所を実現させます。

仕事のトラブルに巻き込まれた際、病院でネリと無事再会することができました。

ネリは無事で、現在は牧場に嫁いでいました。

赤ひげと再会したり、ネリに子供が産まれ、全ては順調に進んでいました。

ところが、ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われます。

カルボナード火山を人工的に爆発させて飢饉を回避する方法をブドリは提案します。

しかし、クーボー博士の見積もりでは、その実行には、最後の一人だけ噴火から逃げることができません。

犠牲を覚悟したブドリは、クーボー博士やペンネン老技師を説得し、最後の一人として火山に残りました。

ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われました。

 

全文はこちらです。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html

 

表層の解説

ブドリの出世物語です。

作者の科学知識や経験が投入されており、半ば自伝的な内容になっています。

科学と宗教をパラレルで表現しており、「知識」と「労働への思い」が結びついているところが面白いところです。

労働と願い事の関連を見ると、労働が自己目的化しています。

作者の主張を言えば「勉強と労働による自己奉仕が世界の平和につながる」です。

そんなの当たり前でしょ。ただの説教でしょ。

ここまでなら普通の説話なのですが、名作には重層的な構造を持っています。

グスコーブドリの伝記も例外ではありません。

 

章立て表

対称構造の後にエピローグ付け加えた構造です。

対称構造は円環構造とも言えますので、解脱しているといって良いです。

つまり、物語の構造が一つの運命から抜け出す構造になっています。

 

それだけではありません。ブドリの仕事に着目すると反復構造になっています。

ブドリが段々と仕事に対して貢献できるようになっています。

サイクルが連続しているのを見ると、魔の山錬金術の山)のワルプルギス・ループのようですね。

dangodango.hatenadiary.jp

ただ、魔の山では、キリスト教教義に配慮した折衷案として採用していますが、

この作品では「ループ時間が本質である。だがより良いループがあるのではないか。」

という主張のために、直線と円環の時間を取り入れているように思われます。

こっちの考えの方がより発展的ですね。

 

対称構造と反復構造を有してるのは仏教とキリスト教の時間観をドッキングさせるためでしょうが、二つの構造を同時に有した作品は多くありません。

同志たちが読み解いている作品だと、夏目漱石の道草ぐらいしかありません。

恐るべき賢治の構成能力です。

note.com

 

エスキリスト物語

恐らく、作者が一番描きたかった部分です。

グスコーブドリの伝記は、旧約聖書の舞台に新約聖書のストーリーが乗っかってる構造になってます。(旧約聖書については、下記記事のキリスト教参照)

note.com

原罪を冷害や干ばつといった自然災害として置き換えています。

冷害などの自然災害が頻繁に起きるのは、イーハトーヴの人間が罪深き存在であるため、神から罰を受けるからです。

 

1章の森を旧約聖書の楽園追放に、餅を知恵の実に置き換えて表現しています。

知恵の実を二人が食べてしまったから蛇である人さらいに攫われて、森から追放されてしまったのです。

 

ブドリの行動が新約聖書のイエスに対応しています。

エスの奇跡をオリザの収穫、クーボーの授業での受け答え、火山での働きに置き換えています。

 

そして、ブドリの自己犠牲は言わずもがな、イエスの自己犠牲です。

ブドリが人類の罪を背負って自己犠牲したから、世界、いやイーハトーヴに平和が訪れたのです。これはイエスの自己犠牲を仏教の解脱とドッキングさせたものでもあります。

 

だから、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かい食べ物と、明るい薪で楽しく暮らすことができたのです。

これは、エデンの園のように、未来のイーハトーヴでは幸せに暮らせることを示しています。

 

今までのキリスト教義では、

1.人類は罪深い存在である。

2.イエスが人類の罪を背負って自己犠牲した。

3.だから、イエスを信じるものは救われる。

という理屈ですが、

賢治は「皆がブドリのように自己奉仕すれば、未来の子供たちの幸せにつながるんだよ。」とイエスの物語や教えを吸収、発展させています。

 

それに、ブドリはエスペラント語でbudho(ブドホ)をもじった名前です。

ブドホは日本語で仏や仏陀の意味です。

ブドリは自己犠牲をして人々を救い、イエスは自己犠牲により、人々の罪を償います。

つまり、グスコーブドリの伝記は、日本のイエスキリスト物語です。

 



まとめ

作者の主張をまとめると、「勉強と労働による自己奉仕が世界の平和につながる」「ループ時間が本質である。だがより良いループがある。」「皆がブドリのように自己奉仕すれば、未来の子供たちの幸せにつながる。」の三つです。

ここでタイトルに戻ります。

伝記とは個人の生涯を書いたもので、偉人とかに書かれます。

アメリカでフィッツジェラルドがギャッツビーという人物を創作したように、

賢治は日本のイエスキリストとして、グスコーブドリを創作しました。だから伝記なのです。

note.com

特にイエスの話を日本人向けに置き換えて表現したから、この作品は名作なのでしょう。

賢治は勤勉で自己奉仕の精神を持つ人が次の時代にたくさん出てくる事を期待して、

生前にこの作品を発表したのだと思います。

現実はそう上手くいきませんでしたが、その影響は良くも悪くも今の時代まで続いています。

 

後継作品

後継作品は数多くあると思いますが、代表的な作品はまどマギでしょう。

勤労による自己目的化、自己犠牲によって輪廻から解脱する点がそっくりです。

Amazon.co.jp: 魔法少女まどか☆マギカを観る | Prime Video

 

もう一つはゲームになりますが、ゼルダの伝説 ムジュラの仮面です。

同じループを繰り返しますが、だんだん抜け出そうともがき、最終的に新しい未来を掴み取るところがそっくりです。

ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 3D (nintendo.co.jp)

 

参考資料

ブドリの名前の由来はこの方の記事から参考にしました。

kenjizukan.blog.fc2.com

 

リンク

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「イソップ寓話」解説

イソップ(アイソーポス)が作ったとされる寓話です。

本当にイソップが作ったかどうかは永遠の謎ですが、出来のいいものが今でも語り継がれているのでしょう。

内容は語られ尽くされていると思いますが、章立て表を用いて「構造を読む」という視点で読み解いてみました。

 

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b247082.html

参考にしたのはこの本です。 

 

 

1.すっぱいブドウ(原題:狐と葡萄)

あらすじ

お腹を空かせた狐は、おいしそうなぶどうを見つけた。

食べようとして懸命に跳び上がるが、うまく届かなかった。

立ち去る際に、狐は「どうせこんな葡萄は酸っぱいに決まっている。」と吐き捨てた。

教訓:力不足で出来ないのに、時のせいにする。

 

A.キツネ

1

狐がぶどうを見つける

B.キツネとブドウ

1

取ろうとするが、届かない

C.キツネ

1

狐が立ち去る

2

「まだ熟れてない」

章立て表を作ると対称構成になります。

イソップ寓話では、狐=ずる賢いやつと描写されていることから、

元々の作者の意図としては、ずる賢い奴をバカにする目的で描かれたと思います。

「ずる賢いくせに強がって言い訳してて草」みたいに。

しかし、このような自己正当化や合理化というのは、ずる賢い奴に限らず、人間の普遍的な感情です。

この物語は、それを簡潔に分かりやすく描いているから、今でも読み継がれていると思います。

 

2.北風と太陽

あらすじ

ある時、北風と太陽が力比べをすることになりました。

そこで、通りすがりの旅人の服を脱がせることができるかという勝負になりました。

まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の服を吹き飛ばそうとします。

しかし、寒さを嫌った旅人が服をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができませんでした。

その次に、太陽が暖かな日差しを照りつけます。

すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から服を脱いでしまいました。

教訓:説得が強制より有効であることが多い。

 

A.勝負

1

北風と太陽、どっちが強いか言い争い

2

道ゆく人の服を脱がせるか勝負

B.北風

1

北風が強く吹き付けるが、男はしっかり服を押さえる

2

一層勢いを強めるが、男は服を着込む

3

疲れ果てて太陽に番を譲る

C.太陽

1

太陽が穏やかに照り付け、男は余分の服を脱ぐ

2

熱を強めて、男は暑さに耐えかねて裸になる

 

章立て表を作ると、BとCが対になっています。

道ゆく人が他人の意思(=北風や太陽)ではなく、自分の意思で行動したと思ってるところがこの作品のポイントです。

北風では強く勢い任せに服を脱がそうとしてますが、太陽では穏やかにゆっくりと服を脱がそうとしてます。

このことから、ゆっくりと進む環境の変化や危機には気付きにくいという、ゆでガエル理論の恐ろしさも表現していると思います。

 

3.うさぎとカメ(原題:亀と兎)

あらすじ

うさぎとカメが山のふもとまでかけっこの勝負をすることになりました。

うさぎがどんどん先へ行き、カメを置いていきました。

うさぎは疲れていたので、少し眠っているとカメに追い抜かされ、勝負に負けてしまいました。

教訓:素質も磨かなければ努力に負けることが多い。

 

 

A.勝負

亀と兎が足の速さで言い争う

勝負の日時と場所を決めて別れた

B.うさぎ

うさぎは生まれつき足速い

真剣に走らず、道から逸れて眠る

C.カメ

 

亀は生まれつき足遅い

弛まず走り続け、勝利する

 

うさぎとカメのキャラ描写が全てです。

構成自体は北風と太陽と同じですが、主張は違います。

怠け者より真面目な者が優れていることを表現するために、亀を後ろの方に置いたのでしょう。

北風と太陽も主張したいことを後ろの方においてますね。

後の方に主張したいことを置くというのは、論説文の構成と似ています。

余談ですが、物語の構造がバトル漫画にも似ているなと思いました。

悪人が最初に追い詰めますが、最終的には善人が逆転するという。

 

4.アリとキリギリス(原題:蟬と蟻、蟻とセンチコガネ)

あらすじ

夏の間に食べ物を集めているアリ達。

そんなアリ達を尻目にキリギリスは必要ないと歌を歌いしながら過ごしていました。

冬が来ると食べ物が全然手に入らずに困ったので、アリに食べ物を分けてもらおうとお願いします。

しかし、アリに断られてしまいました。

教訓:原文ではなし。将来に備えたり、真面目に働くことは重要である。

 

教訓では真面目の美徳を説いてると言われます。

しかし、キリギリスの怠けっぷりを批判しているだとか、アリの強欲さを描いているとか解釈が別れています。

結論から言うと、元々アリの強欲さを揶揄する意図はなかったと思います。

原文は「蟬と蟻」、「蟻とセンチコガネ」の2つありまして、

 

A.アリ

1

冬に、アリが夏の間に溜め込んだ穀物を引っ張り出す

B.セミ

1

腹を空かせたセミが食物をねだる

C.アリとセミの会話

1

夏の間、何をしていたのかね

2

怠けていたのではない、忙しく歌っておりました

3

夏に笛を吹いていたのなら、冬には踊るが良い

 

章立て表から分析すると、原文の蝉と蟻では蟬=遊び人の怠けっぷりをを皮肉っています。

 

A.センチコガネ>アリ

1

夏、アリが食糧集め

2

センチコガネは、ずっと働いているアリを見てしんどいことだと驚く

3

アリは黙っていた

B.アリ>センチコガネ

1

冬になると、飢えたセンチコガネが、食べ物目当てにアリのところに来る

2

アリが言う。あの時苦労していたら、餌に困ることはなかったのに

蟻とセンチコガネ(糞虫)でもセンチコガネの備えの悪さを揶揄してます。

当時は食料事情が今とは異なるので、労働をサボると後で痛い目を見るよという風潮が強かったと思われます。

今は昔に比べて食べ物に恵まれており、社会状況も変化したので、キリギリスのような人も受け入れられ、

アリの強欲さも問題として取り上げられるようになったのでしょう。

 

 

5.オオカミ少年(原題:羊飼の悪戯)

あらすじ

ある村に、羊飼いの男の子がいました。
男の子は、いたずらをしたくなり、「オオカミが来た!」と大声をあげました。

村人が驚いて、駆けつけましたが、それを見て、男の子は大笑いしました。
何日かして、男の子はまた大声をあげました。
「大変だ! オオカミだ。オオカミだ」
村人は、今度も飛び出してきました。男の子はそれを見て、またもや大笑い。

村の人たちは笑い物にされたと怒って戻っていきました。
ところがある日、本当にオオカミがやってきて、ヒツジの群を襲いました。
男の子は慌てて、叫び声をあげました。
「オオカミが来た! オオカミが来た! 本当にオオカミが来た!」
けれども村人達は、何度も嘘をいう男の子を信じようとはしなかったのです。
そして、男の子の羊は、オオカミにみんな食べられてしまいました。

教訓:嘘つきが得るものは本当のことを言った時に信じてもらえないことである。

 

A

羊飼い

羊飼いが悪さをする

村の人に狼が羊を襲いに来たと嘘をつく

村の人々

二度三度は村の人々は飛び出してきた

村の人々は笑い物にされて戻って行った

B

狼襲来

狼が本当に来た

羊の群が分断された

C

羊飼い

羊飼いは助けを求めた

村の人々

村の人々は気にもかけなかった

羊飼は羊を失ってしまった

 

イベントに注目すると、対称構造になりますが、

人の方に注目すると、オオカミ襲来を真ん中に挟んだ反復構成になっています。

自分のした行動が後の出来事につながる、因果応報というものを表現するため、反復構成にしたのだと考えられます。

 

6.金の斧と銀の斧(原題:木こりとヘルメス)

あらすじ

働き者の木こりは、手が滑って泉に斧を落としてしまいました。

泉の中から女神が現れ、泣いている木こりにどうしたのかと聞くと、木こりは大事な斧を落としたと答えます。

すると女神は泉から金ピカの斧を取ってきて「あなたの落とした斧はこの金の斧ですか」と聞きました。

 木こりが正直に違うと答えると、女神は銀の斧を持って現れます。

「違います。古い鉄の斧です」と答えた木こりの正直さに、神さまは拾ってきた鉄の斧と、金銀の斧を全て木こりに渡しました。

 これを聞いた欲張りな木こりは、泉に自分の斧を投げ込み、ボロボロの斧を金の斧に換えようとします。嘘泣きで女神をおびき寄せると、木こりのときと同じように金の斧を取ってきて「あなたの落とした斧はこの金の斧ですか」と聞きます。

欲張りな木こりは「それが私の斧です」と口走ります。女神は「嘘つきには斧を返しません」と言い放つと、金の斧を持ったまま泉の中に去っていきました。 

嘘をついたばかりに、欲張りな木こりは自分の斧まで無くしてしまうのでした。

教訓:神意は正しいものの味方をする。そして、同じ程度に悪人の敵に回る。

 

A.正直者

1

ある男が斧を飛ばしてしまった

斧が流されて、嘆く

ヘルメスが憐れに思ってやって来た

2

泣いている訳を聞き、潜って金の斧を取ってくる

これがお前のものかと聞く

それではない

銀の斧を取ってくる

これがお前のものかと聞く

首を振る

本人の斧を運んでくる

自分のものだと言う

3

ヘルメスは三つとも授ける

B.語る

1

男は仲間のところに行き、一部始終を語る

聞いた一人が同じ目に遭いたいと言う

C.嘘つき

1

斧を飛ばして、泣く

ヘルメスがやって来る

2

泣いている訳を聞き、潜って金の斧を取ってくる

これがお前のものかと聞く

それだと答える

3

神は渡さず、本物の斧も返さなかった

 

構造的には先ほどのオオカミ少年と同じです。

正直な奴と悪い奴を対比させるため対称構造に、行動の違いが違う結果をもたらすことを表現するために、反復構造にしたと考えられます。

 

7.田舎のネズミと町のネズミ

あらすじ

町のねずみが田舎に住むねずみの家に遊びに来ます。

質素な暮らしぶりを見た町のねずみは田舎のねずみを自分の家に招待します。

田舎のねずみは豪華な食事に大喜び、都会の暮らしを満喫します。

しかし、そこに人間が現れたので、大急ぎで隠れるはめになりました。

結局、田舎のねずみは危険がいっぱいの町より、質素でも危険の少ない田舎に帰ることにしました。

教訓:原文では記載なし。人の幸せは人それぞれ。

 

A

ネズミ

田舎のネズミと町のネズミが一緒に暮らす

B

二人で畑へ食事に出かける

土まみれの穀物を食べる

「惨めな暮らしだ。うちのところに来て贅沢しよう」

二人で人間の家へ食事に出かける

食べ物の場所を教えてもらう

チーズを取ろうとしたら、人間が戸を開ける

田舎のネズミは逃げる

しばらくじっとした後、いちじくに手を出そうとする

何かを取りに人間が近づいて来た

二匹は穴に隠れる

C

ネズミ

君は金持ちでいたまえ。有り余るご馳走を楽しめ

危険がいっぱい

貧しくても怖いものなしの方がいい

 

対称構造です。田舎と町のネズミの暮らしの描写が全てです。

田舎:+食べ物に困らない。-贅沢ができない。

町:+贅沢ができる。-食べ物を得るのに命の危険がある。

このことから、上記の教訓以外にリスクとリターン、トレードオフも表現していると思います。

上手い話や豊かな生活にはそれ相応のリスクや理由があるということですね。

 

8.肉をくわえた犬(原題:肉を運ぶ犬)

あらすじ

肉をくわえた犬が、川を渡っていました。
ふと下を見ると、川の中にも肉をくわえた犬がいます。
犬はそれを見て「あいつの肉の方が大きそうだ」と思いました。
イヌは川の中の犬に向かってくわえている肉を奪おうと飛びかかりました。
くわえていた肉は川の中に落ちてしまい、流されていきました。
教訓:欲深いやつにピッタリの話である。

 

A.犬と肉

犬が肉を咥えて川を渡る

B.犬の行動

水に映る自分の影を見る

影を見て別の犬が大きな肉を咥えていると思う

自分のを捨て、相手のものを奪おうと飛び掛かる

C.犬と肉

別の肉は元々ない

別の肉は川に流された

対称構造です。構造はすっぱいブドウと変わりません。

水に映る姿が現実との鏡合わせであることを示唆しています。

犬=飼い主より下の立場の例えから、恐らく準権力者の風刺として描かれたと思います。

権力者とまでいかなくても上の立場の人に「調子に乗ってると大切なものまで失ってしまいますよ」と戒める際にも使用したのではないのでしょうか。

 

9. ガチョウと黄金の卵(原題:金の卵を生むガチョウ)

あらすじ

男がある日、金の卵を産むガチョウを神様からもらいました。

男は、金の卵が少しずつしか手に入らないことに我慢できなくなりました。

そこで男は、お腹の中身が金だと思い、ガチョウのお腹を切りさきました。

ところが、ガチョウのお腹には金はなく肉であり、男はもう二度と金の卵を手に入れることができなくなりました。

教訓:欲張りすぎると全てを失う

 

A.ガチョウ

神が男に金の卵を産むガチョウを授ける

B.男の心

男は金の卵が少しずつ現れるのが我慢できない

C.ガチョウ

ガチョウの中身を金だと思ってガチョウを殺す

中身は金ではなく、肉であり、卵を失ってしまった

 

対称構造です。構造的には先ほどのすっぱいブドウと変わりません。

ガチョウは日本で言うニワトリの立ち位置です。飼い主と家畜の関係から、これも権力者を戒めるために書かれた話だと思います。

ビジネスでも有名な話ですね。

短期的な利益(目の前の金)に目がくらむと、長期的な利益(今後産まれる金の卵)を生み出す資源を失い、全て得られなくなってしまう。経営者や上司など、上の立場の人には特に考えさせられる話なんじゃないでしょうか。

最近の事例だと某ドームがこの寓話にピッタリですね。

なんか変だなと思ったら、この話を読んでみることを勧めます。

話が逸れましたが、現代でも通じる内容だから今でも読み継がれているのだと思います。

 

10.ネズミの恩返し(原題:ライオンとネズミの恩返し)

あらすじ

ライオンに捕まったネズミが、命乞いをして見逃してもらいます。

後日、ライオンが網にかかったときにネズミが現れ、網を噛み破いてライオンを助けます。

教訓:いかなる有力者も時勢が変われば弱いものの助けになる

 

A.ライオン>ネズミ

寝ているライオンの上でネズミが走った

ネズミを捕まえ、一呑みにしようとする

命乞いをし、助けてくれるなら恩を返すと言う

笑って逃す

B.ネズミ>ライオン

ライオンは猟師に捕えられ、ロープで木に縛り付けられる

ネズミが呻き声を聞きつけ、ロープを齧り切る

ライオンを解き放つ

あの時、笑ったけどネズミにも恩返しはできる

上のような教訓を言うために、二つの出来事を対にしています。

ライオン=権力者、ネズミ=弱者や平民であることから、元々は権力者の横暴を防ぐために書かれたと思います。

強さというのは一定のものではなく、変化するものですから、その点を指摘したのは優れていると思います。

 

11.カラスと水差し(原題:ハシボソガラスと水差)

あらすじ

長い旅をしていたカラスは喉がカラカラに渇いていました。

そんな時、一つの水差し見つけ、水が飲めると喜んで飛んで行きまちた。

その水差しには、少ししか水が入っていなかったので、くちばしが水面には届きませんでした。

カラスは何とかして水差しをひっくり返そうとしましたが、水差しがしっかり立っていたため、無駄に終わりました。

まだ諦めきれないカラスは、小石を集めて、水差しの中へ落としました。

すると中の水はどんどんかさを増して、くちばしのところまで届きました。

こうしてカラスは喉を潤して、また旅に出ました。

教訓:知恵が力をしのぐ

A

カラス

喉の渇いたカラスが水差しのところに行く

B

何とかしてひっくり返そうとする

水差しはしっかり立っていて倒せない

知恵

小石を水差しいっぱいまで投げ込む

水を下から上へ押し上げた

C

カラス

カラスは喉の渇きを潤した

対称構造です。ポイントはBの対句です。

力より知恵の方が優れていることを言いたいために、このような構造にしたと思います。

これも構造だけをみると北風と太陽、ウサギとカメと同じですね。

 

12.ライオンの分け前(原題:ライオンとロバとキツネ)

あらすじ

ライオンとロバとキツネが狩りに出かけます。

大量に獲物が取れたので、ロバがそれを均等に分けたところ、ライオンは怒ってロバを食べてしまいました。
その後、キツネに再度獲物の分配を命じました。

キツネは、獲物のほとんどをライオンに差し出し、キツネの分け前は少しになるように分配しました。

ライオンはその分配に満足し、キツネになぜこのような分け方にしたかを聞くと、キツネは答えました。

「ロバの運命が、この分け方を教えてくれました」

教訓:他人の不幸が人を賢くする

A

狩り

三人で狩りに出かける

獲物がどっさり取れた

B

ロバ

ライオンはロバに分けさせた

ロバが三等分に分けた

ライオンは怒ってロバを食べた

キツネ

ライオンはキツネに分けさせた

キツネはほとんどをライオンに、自分は少しにした

C

キツネの回答

ライオンが誰がこの分け方を教えたと聞く

キツネはロバの災難ですと言う

 

 

英語の熟語 Lion's Shareの語源にもなった話です。

ライオン:権力者、ロバ:愚か者、狐:ずる賢いもののシンボルです。

普通の三幕構成ですが、ポイントはBの内部の対句です。

ロバとキツネを対比させて他人の不幸が人を賢くすることを言うために、このような構造にしたと思います。

要するに、人のふり見て我がふり直せってことです。

 

紀元前6世紀頃の話ですから、教訓が現代には通じなかったり、ずれている部分もあります。

しかし、どれも対称構造や反復構造を上手く用いて、物語を作り上げていることがお分かりいただけたかと思います。

 

イソップ寓話は他にもありますが、とりあえずこの辺で解説をやめます。

また機会や要望があればやりたいと思います。

 

 

 

 

 

「よだかの星」解説【宮沢賢治】

1921年頃の作品です。

この作品は、ただの自己犠牲物語ではありません。

キリスト教を批判しつつ、仏教との融合を試みています。

よだかの星 - 文芸・小説 宮沢賢治(izure):電子書籍試し読み無料 - BOOK☆WALKER -

あらすじ

よだかは、容姿が醜い鳥です。そのため、かわせみやハチドリの兄にも関わらず、鳥の仲間からいつも嫌われています。

 

ある日、鷹から「たか」の名前を使うな。「市蔵」にしろ。と改名を迫られます。

 

よだかが空を飛び回っていると、自分が生きるために、たくさんの虫の命を奪っていることに嫌悪してしまいます。

 

よだかは生きることに絶望し、弟のかわせみに別れを告げます。

 

太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなたの所へ行かせて下さいと願うと、太陽に「お前は夜の鳥だから星に頼んでごらん」と言われます。

 

よだかは星々にその願いを叶えてもらおうとしますが、相手にしてくれません。

 

よだかは力を落としますが、空に飛び上がり

いつしか青白く燃え上がる「よだかの星」となりました。

 

全文はこちらからどうぞ。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473_42318.html.

 

章立て表

対称構造をとってます。

最重要部分は赤の部分です。

3の鷹が来る場面では鷹が俺のくちばしや爪と比べろ。と言ってます。

つまり、何かと比較しろとの作者からのヒントです。

 

キリスト教批判

鷹が家に来る

章立て表の赤い部分を比較すると、よだかが物語で最初に会う鳥が鷹で最後がワシ座であることが分かります。また、鷹とワシで生物学的にあまり違いはないこと。ワシは聖書で重要な鳥であること。以上のことから、おそらく鷹はキリスト教の暗喩です。

鷹はよだかと名前や鳴き声が似てるから嫌っている。名前を変えろ、変えなかったら殺す。

これはキリスト教の異端や強制改宗を暗に示していると思われます。

 

よだかは自分の存在が無駄なものだと悟って、自分を犠牲にすることで、他人の幸福を実現するとともに自らの救済も望んでいます。

何となくは分かりますが、自分の中ではいささか違和感でした。しかし、よだかを異端者としてみると、鷹に殺される(=屈辱を受ける)ならせめて自分で死のうとするのも納得です。

 

よだかがいろんな所へ行く

オリオン座、おおいぬ座おおぐま座、わし座。

出てくる星座が気になったので、調べてみました。

すると星座になった理由は、全部神のせいだと判明しました。

神そのものが変化したわし座に至っては、身分がなくちゃならん、金も必要と言ってきます。

神のくせに何て傲慢な奴なんだろうと思います。

 

本気になって神様にお願いすれば、人間の罪を消し去って助けて下さる。それをダシに身分や金を要求する。そんなキリスト教の問題を暗に批判しているようにも聞こえます。

 

キリスト教と仏教のドッキング

その一方で二つの宗教をうまく融合しようともしています。

キリスト教の原罪という概念と浄土真宗悪人正機

みだりに生き物を殺すなという不殺生戒。

エスの自己犠牲に、神の力に頼らずとも、東西南北ぐるぐる回っていたよだかが輪の中から外れたこと。つまり、往生や解脱。

やや仏教寄りなのは否めませんが、神頼みではなく、自己による行動を重要視しているのは間違いないですね。

note.com

 

よだかから見る作者の主張

ヨタカ日本野鳥の会 京都支部 (wbsj-kyoto.net)

よだかとは、ヨタカ科の鳥で、確かに容姿が良いとは思いませんが、異常なまでに嫌われています。

なぜ、ここまで嫌われなきゃいけないんでしょうか。

 

それはよだかが、夜鷹の意味ももっているからだと思います。

そば一杯の値段で性サービスを提供した「夜鷹」とは | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る! (intojapanwaraku.com)

夜鷹というのは、江戸時代に出没した下級遊女のことで、今で言うところの立ちんぼです。

梅毒のせいか、鼻や耳も削げ落ちている人もいたと言われています。

だから、あまり美しい鳥でもないひばりが面汚しだとか、言うのです。

 

以上のことをまとめると、

神の力に頼らずに自己犠牲によって、救済されたこと。

そして、醜いとされてきたよだかが美しい星になったこと。

 

この2点から推測するに、

「身分や生まれ、信じる宗教に関係なく、あらゆる生き物は苦しみから救われる」

これが恐らく作者の主張です。

 

仏教とキリスト教の良いとこどりをして、新しい救いの物語を描こうとしたのでしょう。

 

よだかの星

よだかの星のモデルは様々な考察がされていますが、有力な説はチコの星だとされています。

SN 1572 - Wikipedia

 

しかし、物語の意味合い的な元ネタはキリスト教ベツレヘムの星だと思います。

ベツレヘムの星 - Wikipedia

 

キリストの誕生を示したと言われているこの星に対して、賢治が唱えたよだかの星

 

それは、醜いと周囲からバカにされたよだかが、美しく輝く星になったように、

あらゆる生き物は苦しみから救われ、立派な存在になれるという希望の象徴です。

 

だから、いまでも燃えているのです。

 

 

追記

自分は読めていませんでしたが、よだかのキャラ造形はこの方の解説が深掘りできています。

amaikahlua.hatenablog.com

よだかの死は有限を無限に反転させるための儀式と聞くと、

まるでイエスの自己犠牲や、解脱した仏みたいですね。

肉体は消えても、その存在はいつまでも消えずに生き続けるという。

宮沢賢治もそのうちの一人ですね。

 

「セロ弾きのゴーシュ」解説【宮沢賢治】

この物語は動物との対話を通じて、未熟な青年が立派な人間として成長するお話です。

それでも間違いではありませんが、深く読むと、人々の助け合いを描いているのです。

賢治入門としては、「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」より、こちらを勧めたいです。

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あらすじ

本文は下のリンクからどうぞ。短編ですし、賢治作品の中では読みやすい部類に入ります。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/470_15407.html

 

全体構成

 

A

練習

1

第六交響曲の練習

問題点・自信の喪失

2

ゴーシュの1人練習

孤独な演奏

3

ゴーシュの帰宅

一人でガムシャラな練習

B

動物たちのセッション

1

猫とのセッション

表情(グルーブ)の克服

2

かっこうとのセッション

音程の克服

3

たぬきとのセッション

リズムの克服

4

野ネズミとのセッション

自信をつける

C

本番

1

第六交響曲の演奏

問題点の克服

2

ゴーシュのソロ

大勢の前で演奏

3

ゴーシュの帰宅

自信の回復・カッコウへの謝罪

 

全体構成はきれいな三幕構成です。

AとCが対になっていて、Bは内部で対をつくっている構造となっています。

 

タイトルについて

セロ(チェロ)は、ざっくりいうと、少しでかいバイオリンで、低い音を出す楽器です。

オーケストラなどにおいて、低音部を担当します。

現代の一般的なJ-POPでは、低音部を主にエレキベースが担当することが多いですね。

低音部がどういう役割なのかを説明すると長くなるので、ここでは割愛しますが、

今のところは、“一般の人にはあまり目立たないけど、めちゃめちゃ重要”ぐらいの認識で

大丈夫です。

ゴーシュという言葉は、フランス語で、左、左側という意味です。

左利きは、昔みっともないという理由で右利きに矯正した時代もあったそうです。

以上のことから、セロ弾きのゴーシュは下手、上手くないという意味であると言えます。

この物語が成長物語であることを暗に示しているタイトルですね。

 

Aパート

このパートでは、ゴーシュの問題点を浮き彫りにしてます。

問題点は、音が遅れた(リズムが悪い)、糸が悪い(音程が悪い)、表情・感情がない(グルーヴがない)の3つです。

要するにリズム・音程・グルーヴの3つが問題です。どれも、楽器の演奏には欠かせません。

グルーヴとは、ざっくりいうとノリのことで、ロックぽい、ジャズっぽいというのを何となく感じると思いますが、その〇〇っぽいというのをグルーブと言います。この作品で、作者は、グルーヴのことを表情や感情として解釈しています。

少し、横道がそれましたが、ゴーシュはこれらが欠けているので、皆の前で楽長に叱られます。ひどい仕打ちです。

まあ、低音部がミスると、全体がコケるので、楽長が怒るのも無理はないですが。

その後、ゴーシュは独りで練習をし、家に帰ってからも練習しますが状況は変わりません。

原因を解決するような努力をせず、ただガムシャラにやっているだけですから。

 

Bパート

このパートでは、成長の過程が描かれています。問題を認識し、克服します。

 

ネコ(B-1)

ネズミ(B-4)

自分勝手

子のため

トマトを持ってくる

パンをあげる

堪えきれない

堪えきれない

ドアにガンガンぶつかる

外へ出てく

感謝を述べない

感謝を述べる

 

カッコウ(B-2)

タヌキ(B-3)

自分のため

父のため

外へ逃げる

中に入る

夜開ける前

夜が明ける

窓ガンガンぶつかる

外へ出てく

感謝を述べない

感謝を述べる

 

B-1↔︎B-4、B-2↔︎B-3と対応しています。

簡単な表ですが、対応していることがわかれば、十分だと思います。

 

もう一つ重要なのは、この作品に三位一体教義を組み込んでいることです。

三位一体教義の解説は下のリンクからどうぞ。

銀河鉄道の夜【宮沢賢治】あらすじ解説 - NAVER まとめ

 

 

動物

行動

タヌキ

父の病気を治す

ネズミ

子の病気を治す

聖霊

カッコウ

予言を告げる

愚者?

ネコ

ムカムカさせる

 

表は以上のように対応しています。

猫の部分は不明ですが、少なくとも、タヌキ、ネズミ、カッコウが三位一体教義に対応しているのは明白です。

 

 

B-1 猫とのセッション

猫は、ニヤついてゴーシュのところにやってきます。

悪気はないと思いますが、相手に対して共感するのではなく、見下すような態度で接しています。媚びへつらうように、相手の気持ちなど考えてません。浅い同情心です。

そのため、うさ晴らしも兼ねてゴーシュは、インドの虎刈りという耳に悪い音楽を弾きます。

意図しない形ではありますが、ここでゴーシュは表情や感情を習得します。怒りや気迫といった感情を演奏によって表現することを学んだのです。

 

 

B-2 カッコウとのセッション

このパートでは音程を克服します。

カッコウと単純な音のセッションをすることで、ゴーシュは正しい音程を習得します。

賢治はこのカッコウ聖霊と解釈しています。聖霊というのは予言をする存在ですから、

実際に作品内で「どんな意気地ないやつでも、のどからちがでるまで叫ぶ」と言い、

C-2で実際その通りになります。

神様の予言を聞き、その恩恵を受けたのです。

 

 

B-3 タヌキとのセッション

このパートでは、リズムを克服します。

タヌキとのセッションで、自分の楽器の問題点である音の遅れ、リズムの問題を認識します。

以前だったら、動物に対してひどい仕打ちしかしなかったゴーシュが、父を思いやるタヌキの指摘を素直に受け入れ、一緒に問題に向き合います。

問題と向き合い、考えることを学んだのです。

 

 

B-4 ネズミとのセッション

このパートでは、自信を手に入れます。

見上げるように親ネズミが子ネズミの病気を治すようにお願いします。

演奏でネズミの病気を治し、元気な姿を見ることで、ゴーシュの中で自信が生まれます。

その後、他者を思いやる慈悲の心を持つようになり、パンをネズミにあげます。

人間として一歩成長したのです。

 

段階的ではありますが、ゴーシュは一歩一歩着実に成長しています。この成長の過程を丁寧に描写しているところが賢治の凄いところであり、この作品を名作たらしめている理由の一つでしょう。

 

 

Cパート

演奏が成功して、楽長がうれしそうだったという描写から、ゴーシュは以前よりも上手くなったことが分かります。

そして、ゴーシュは周りのゴーシュのソロでは今までの練習の成果が全て発揮されます。

猫から学んだグルーヴ・カッコウから学んだリズム・狸から学んだ音程・ネズミから得た自信、それらが組み合わさって発揮された演奏は聴衆の心を惹きつけ、絶賛されます。

以前の自分とはまるで別人のようです。

そして最後に、同情するだけの猫ではなく、聖霊であるカッコウに向かって声をかけます。

「ああ、カッコウ。あのときはすまなかったな。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」

ゴーシュは、自分の非を認められる立派な人間として成長できたのです。

 

では、ゴーシュの成長は、ゴーシュだけの力なのでしょうか?

それは違います。様々な動物たちと関わったことで、成長することができたのです。

現代においても、成功者を見ると、一見その人だけの功績のように思われますが、実はそうではありません。表には出てこない多勢の人の支えや助けがあったからこそ成功することができたのです。

 

我々は、この人間社会において自分だけでは決して生きていくことはできません。家族・友人・恋人など、多くの人の支えや助け合いがあって、存在したり、成長することができるのだと、、

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なんだか、ワンピースみたいな話ですね。

賢治作品というのはそれぐらい、現代のコミック・アニメに影響を与えているのです。

 

 

まとめ

このお話は、人間の成長を描いた物語。

自分の存在や成長というのは多くの支えによって成り立つのだという主張が存在する。

キリスト教の三位一体教養が物語に組み込まれている。

 

以上で解説を終わります。

 

 

余談

この作品の読み解きは正直言って、かなりスムーズに進みました。

何故なら、先行研究というか、ある程度まで読み解けた解説がいくつも存在したからです。しかし、どれもあと一歩なのに、、と思われる惜しい解説ばかりでした。

それを知った時、fufufufujitani氏が下のリンクで言及した問題についても、深い確信を持ち、とても残念な気持ちにもなりました。

yomitoki2.blogspot.com

僕より鋭敏な感覚や感性を持ち、読解力のある優秀な人達が、宝の持ち腐れと化している状況に対してもったいないと感じたからです。

先人が身を削って作り出した文学作品に触れ、その真意を平易な言葉で汲みとってあげることが、今後の文学や、創作物の発展において重要なのではないのかなと思います。

 

 

関連

賢治作品で最も影響力のある作品の1つです。キリスト教の考察の参考にもしました。

matome.naver.jp

 

代表作の1つです。こちらもきれいな構成をしています。

dangodango.hatenadiary.jp

 

出典

セロひきのゴーシュの通販/宮沢 賢治/茂田井 武 - 紙の本:honto本の通販ストア

http://ワンピース名言.com/archives/1065

 

参考文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/セロ弾きのゴーシュ#作曲者

 

https://www.ehonnavi.net/ehon/70086/宮沢賢治童話集心に残るロングセラー名作10話/

「オツベルと象」解説【宮沢賢治】

 

この物語は、悪者であるオツベルを仲間の象たちがやっつける話として知られています。

しかし読み解くと、宗主国と植民地、1920年代のイギリスとインドの関係を描いています。

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本文とあらすじ

本文はこちらからどうぞ。短編なのでさらりと読めます。

宮沢賢治 オツベルと象

全体構成

 

 

 

 

 

 

 

牛飼いの語り部

 

 

ある牛飼いがいう

 

 

 

第1日曜

A

1

オツベルの仕事場

器械6台がとても大きな音

砂漠の煙

仕事場を見張る

2

白象がやってくる

白象がやってくる

オツベルは見ないふりをする

象は笑っている

3

オツベルが象を誘う(やっつける)

もみがパチパチ当たる

白象がオツベルと契約

顔をくしゃくしゃ 真っ赤な顔

第2日曜

4

オツベルが象を拘束する

オツベルを牛飼いが褒める

いらないものをつけさせられる

くさりと分銅(ムチ)(邪魔しか残らない

5

オツベルが像に仕事を課す

水汲み(月の御加護?

赤い帽子(オツベル)

鍛冶場への炭火吹き(半日)

第5日曜

B

1

象が嘆きを月に言う

オツベルを象が睨む

苦しい(仕事なんていらない

さようなら(邪魔者だから消えたい

2

象が月に助けを求める

月が助けてくれる

赤い童 登場

手紙を届ける(半日)

3

象たちの住む場所

象が真っ黒になって吠える

砂漠のようにめちゃくちゃになる

カラスの夢(見張ることの暗示)

4

オツベルたちが象に気づく

五匹の像がやってくる

オツベルは象に対処する

象は怒っている

5

象がオツベルをやっつける

ピストルがパチパチ当たる

五匹の像がいっぺんに落ちる

くしゃくしゃに潰れていた

C

1

白象は救出される

白象は痩せてでる

鎖と銅を外す

解放される

牛飼いの語り部

2

おや、●、川へ入っちゃいけないったら

伝統的価値観、道徳、宗教の領域にズケズケと合理が入っちゃいけない

全体を構成しているのは対句です。

上の章立て表の通り、AとBが対になっており、Cは内部で対になっています。

例をあげると、

A-1 器械6台がとても大きな音を立てる↔︎ B-3 象が真っ黒になって吠える

A-3 もみがパチパチと象に当たる↔︎B-5 ピストルがパチパチと象に当たる

A-5 オツベルは赤い帽子を被る↔︎B-2 赤い着物を着た童子が登場する

という具合です。挙げるとキリがないので割愛しますが、他にも数多くの対句が

存在します。

 

はじめに

この童話は、白象が人間に雇われる・月が喋るといった普通に読むと、常識ではありえないような展開が起こります。

こういった物語は、リアリティのある童話でなく、抽象的な物語、つまり何かを暗に示しています。そう解釈して読み進めていきます。

白象の導入が工場制手工業から工場製機械工業への移行の過程、要するに、みんなで分担して作っていたのが、機械を使って作るようになったということを示しているので、白象は蒸気機関&植民地の象徴であることが分かります。

象はインドでは神聖な動物であること、ガンディーの不服従運動が1922年辺り、この作品が1926年発表である事を考えると、

オツベル=イギリス、象=インドであることが分かります。そして、白象はガンディーであることが分かります。wikipediaの経歴や人物像が驚くほど象と一致しています。

2020年現在、コロナウイルスが話題であるように、当時の日本では、不服従運動が話題になっていたのでしょう。

 

 

疑問点1 不自然に強調された数字

オツベルと象では、数字、特に六が不自然に強調されています。これは、全体構成が6という数字で組み込まれていること、対になっていることを暗示しているからであると思われます。

オツベルと象というタイトルからも分かる通り、この物語が対句で構成されることが読み取れます。

 

疑問点2 牛飼いのオツベルへの称賛

牛飼いはオツベルを過剰なまでに褒めますが、下の表を見ると、

オツベルはろくでもない結末に陥っています。

とてもじゃないですが、オツベルは、褒められるような状況ではありません。

このことから、牛飼いは、悪意を持って褒めている、つまり、オツベルに対して皮肉を言っていることが分かります。

要するに牛飼いサイドからすれば、オツベルに対して、好ましい印象を抱いてません。

インドでは牛は神聖な動物です。つまり、牛飼いというのは、神に仕える者や信奉者の意味だと思います。もしかしたら、作者自身かもしれません。

一方、オツベルは神聖な動物である牛を調理したビフテキ(牛のステーキ)を食べます。

このことから、オツベルが悪者である事を示しています。

また、牛飼いの語りにしたのも、この物語が現実社会の風刺であることを強調するためだと思います。

 

牛飼い評

理由

実際

大したもん

経営してる

めちゃくちゃにされる

儲ける

白象を利用する

くしゃくしゃの顔

大したもん

象を自分のものにする

黒象を自分のものにできず

主人が偉い

象がはたらくから

象が働かなくなる

頭が良くて偉い

象を自分のものにする

象にひどい目に合わせる

大したもん

象を自分のものにする

黒象を自分のものにできず

いなくなった

 

多分、死んだから

偉い

農民に的確な指示

農民は逃げ出す

 

もう一つ、象の仕事内容からも、不可解な点がいくつも見受けられます。

最初、オツベルは象に本来不要であるはずのブリキの時計やくさり、くつ、分銅をつけます。

しかも、ブリキの時計は破け、紙のくつはすぐに役に立たなくなります。訳がわかりません。

真相はこうです。

オツベルは自分より強い象を弱らせ、自分の手下、いや奴隷にしたいと思っています。

そのため、象を弱らせるためにあらゆる理屈をつけて、象を弱らせる道具であるくさりと分銅をつけます。

また、仕事をドンドン重い内容にしてく一方、報酬であるわらの量を減らして段々と弱らせていきます。

何も知らない白象は、始めは呑気な言葉を吐きますが、どんどんと弱っていき、最終的に酷い扱いを受けても、主人であるオツベルに逆らえなくなってしまいます。まるで、現代社会におけるブラック企業の上司と部下みたいに。

当時の植民地支配も形は違えども、似たような状況だったのでしょう。

オツベル自身、白象は本来強い存在であることを知っているので、内心はビクビクしています。実際、白象の発言に何度もギョッとしています。仲間を呼んだり、暴力によって反抗されるのを恐れているため、白象に気づかれないようにしてだんだんと弱らせていくのです。

これらの描写から、自分で何も考えず、言われたことをただこなす植民地の人々、奴隷のように植民地を洗脳する宗主国の両方を批判しているみたいですね。

 

 

オツベル→象

オツベル

象のリアクション

 

 

感情

恐れてること

初日

くさりと分銅

 

なかなかにいいね

 

 

 

 

2日目

水汲み

しかめる

目を細めて喜ぶ

10葉のわら

3日の月

 

 

3日目

たぎぎ運び

赤い帽子

目を細めて喜ぶ

8葉のわら

4日の月

ギョッとする

仲間を呼ぶ

4日目

炭火吹き

 

 

7葉のわら

5日の月

ドキッとする

反抗

 

 

 

 

5葉

 

 

 

 

 

ひどくなる

赤い竜の目をして見る

3葉のわら

10日の月

 

 

 

 

つらくする

ふらふらに倒る

食べない

11日の月

 

 

 

宗教

白象は、仏教・ヒンドゥー教においては神聖な生物であり、その象がキリスト教では母の意味を持つサンタマリアという言葉を、イスラム教のシンボルでもあり、神道の神の題材でもある月に向かって言います。

一見意味不明ですが、白象がガンディーである事を考えると、白象は様々な伝統的宗教の集合体、つまり、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、神道を表していることが分かります。

そして、この5つの宗教はB-3での5体の黒像に対応してます。

賢治の恐るべき構成力を感じます。

最初、私はオツベルと象を資本者と労働者だと解釈していましたが、象があまりにも強すぎるという違和感がありました。しかし、象がガンディーであり、宗教(ヒンドゥー教キリスト教+仏教+イスラム教+神道)であり、植民地のパワーであると解釈するとその異常な強さも納得できます。

 

疑問点3 くしゃくしゃ

疑問点の3つ目として、本文中にオツベルに対して、くしゃくしゃという表現が不自然に強調されて出てきます。

結論をいうと、くしゃくしゃとは、紙幣の暗喩です。

この作品は、植民地を軽視し、お金を稼ぐ宗主国を主に批判しています。

そのため、子供がそういう大人にならないように、また、そういった大人への抗議として、

くしゃくしゃという表現を使ったのであると思われます。

だから、作中では、金に目が眩んでくしゃくしゃになったオツベルは、

最終的にくしゃくしゃに潰れる結末を迎えるのです。

 

疑問点4 おや、●、川へ入っちゃいけないったら

場合によっては●の部分が(一字不明)の表記で表される、意味不明な文。

この黒丸の部分は、象が寂しく笑う部分と対応すること、そしてイギリスとインドの事を考えると、イギリスを表す「英」以外当てはまらないことが分かります。

ダイレクトに描写すると色々とまずいので、このような表現をしたのでしょう。

川はガンジス川を表します。つまり、伝統的価値観、道徳、宗教の領域にズケズケと合理が入っちゃいけないという筆者の主張が読み取ることができます。

 

疑問点5 赤

赤が何を表しているかが疑問です。赤い童子、オツベルが赤い帽子をつけていたり、象に赤い靴をはかしたり、赤い龍の目を象がします。

この辺りは、今後考察すべき部分でしょう。

 

 

まとめ

この物語は、宗主国と植民地、1920年代のインドとイギリスの関係を示している。

伝統的価値観、道徳、宗教の領域にズケズケと合理が入っちゃいけないという主張を含む。

赤が何を表しているかが、今後の課題である。

 

以上で解説を終わります。

 

余談

出典元は忘れましたが、とある書籍で、宮沢賢治は、入信していた国柱会のある人に「文章力があるのだから、釈迦などの説法を童話などの物語として広めるのはどうか」と勧められたエピソードがあります。ですから、賢治の作品には様々な教訓が作品の中に込められてるのかもしれません。

代表作の中にも、「銀河鉄道の夜」には友情の尊さが、「注文の料理店」には、自然の軽視に対する批判が込められています。

「友情はかけがえのないものだ」「自然を大事にしなければならない」といったこれらの考えが数百年後の我々にアニメや漫画の形として流れていると考えると、何だか感慨深いものがありますね。

 

関連

こちらの方の解釈は必見です。

後世の漫画、アニメに影響を与えた賢治の凄さを知ることができます。

matome.naver.jp

 

宮沢賢治といえば、この作品を思い浮かべる人も多いはず。

作品に流れる不気味な雰囲気の正体を掴んでいる解説です。こちらも同じく必見です。

dangodango.hatenadiary.jp

 

今回の読み解きに協力してくれた焼売さんの解説です。

河童の読み解きを通して、芥川龍之介の死の真相に切り込んでいます。芥川好き必見です。

matome.naver.jp

 

参考文献

https://twitter.com/shao1mai4/status/1231409318060118019?s=21

https://ja.wikipedia.org/wiki/マハトマ・ガンディー

 

出典

https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b241612.html